【邪悪な老婆】欧米の魔女のイメージはどうやって出来た?

 

きょう8月9は、“ヤク”ということで「薬草の日」。
自然に生えている植物を薬として用いることは世界中であって、古代ローマでは1世紀に薬用植物の書『薬物誌』がでた。
日本では推古天皇が611年5月5日に、大和(奈良県)で薬草採取の「薬狩り」をしたという記述が日本書紀にあることから、この日は「薬の日」になっている。
ちなみにこのとき女は薬狩りで、男は鹿狩りに行ったらしい。
鹿の角は鹿茸(ろくじょう)という生薬になるから、これも薬狩りになったかも。

 

さて、ここからの話はヨーロッパの”魔女”について。
魔女というと、女性が大きな釜にグツグツと何かを煮込んでいるイメージがある。

 

 

欧米で魔女は、顔に深いしわが刻まれていて鼻には大きなイボがある、大きなとんがり帽子をかぶっている、黒や紫色の服を着ていて長い爪をもっている、といった「邪悪な老婆」として描かれることが多い。(European witchcraft
『マクベス』に出てくる「3人の魔女」みたいに、大きな釜で薬を調合している姿も魔女のテンプレだ。

 

マクベスの「3人の魔女」

 

音楽は別として、ヴィジュアルはまさに欧米人の思い浮かべる魔女

 

こんなヨーロッパの魔女の元ネタになったのが、病気やケガの患者を治療する「ヒーラー」だ。
ヒーラーには、推古天皇の時代の「薬狩り」のように、森に入っていろんな薬草を採取して、それから薬を作って患者に渡す人が多くいた。
昔のヨーロッパ社会では、人を癒すことのできる人間は、同時に害を与えることもできると両義的に考えられていたから、否定的な意味で「魔女」として非難されることがあった。

Folk magicians throughout Europe were often viewed ambivalently by communities, and were considered as capable of harming as of healing,which could lead to their being accused as “witches” in the negative sense.

Witchcraft

 

ハンガリーでは、魔女とされた人の半数以上がヒーラーだったという。
それぞれの薬草の効能を知っていて、それを絶妙のバランスで配合して目的にあった薬を作るには膨大な知識が必要になって、それを蓄積するには長い時間がかかる。
ということで、ヨーロッパにいた歴史上のヒーラーには老婆が多かったと思う。
それに邪悪なイメージが重なって、現在よくある魔女の姿が出来上がった。

 

いまでは「魔女の大釜」は、ハロウィンで雰囲気を盛り上げるアイテムとして使われている。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。