ウィキさん(Wikipedia)が言うには、きょう8月12日は紀元前30年にクレオパトラが自殺した悲しい日。
*クレオパトラの命日については8月10日という説もあり。
このファラオ(女王)が亡くなったことで、古代エジプトのプトレマイオス朝は消滅した。
日本で「世界三大美人」というと、クレオパトラと楊貴妃(唐の皇帝玄宗の皇妃)と平安時代の歌人・小野小町がよく挙げられる。
もちろん写真なんてないから、この三美人は”言い伝え”によるところが大きい。
楊貴妃についてはまえに中国人のガイドから、唐の時代の”美人”の条件は、たくさんの子どもを産めそうなぽっちゃりした、またはそれを超えたレベルの肉付きのいい女性だったという話を聞いた。
平安時代の日本人も二重あごがありそうな、ふくよかな女性を”美人”と考えていたから、中国から伝わった「美の条件」を受け入れたのかもしれない。
いまの中国や日本の美の基準からすると、楊貴妃と小野小町がそのままの姿で現代に転生したしたら、おそらく試練のトキを迎えることになる。
ただ歌人の小野小町についてはその歌風がとても華やかだったから、「その作り手はすごい美人さんに違いない!」と当時の男どもにイメージされたという説もある。
隋か唐の時代の女官
小野小町
クレオパトラが美の化身のようにいわれたのも、顔が整っているといった理由ではなかったようだ。
そもそも数千年前のエジプトにあった建物の中はキホン薄暗いから、相手の顔が見えにくかったと考えられる。
そんな条件の中、クレオパトラはとても美しい声の持ち主だったから、その声で多くの男性を魅了したという。
そんなことが小学館の「謎多き女王クレオパトラ。その魅力と人生について学ぼう」に書いてある。
古代ローマの実力者カエサルの部屋へ、あるとき絨毯(じゅうたん)が運ばれてきた。
すると中からクレオパトラが登場。
「自分をプレゼントする」という発想やこの大胆な演出で、カエサルはクレオパトラをとても気に入ったという。
このときクレオパトラが「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!」と言ったのは有名だ。いや知らんけど。
「三大美人」みたいな発想は昔から日本人にあったらしい。
江戸時代には、難波屋おきた、高島屋おひさ、富本豊雛(とみもと とよひな)の3人が「寛政三美人」と騒がれた。
「寛政三美人」
どれも同じ顔に見えて困る。
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