このところ旧統一教会をめぐって、良からぬ報道が洪水のようにあることから、自分は無宗教であることをアピールする政治家やタレントが増えている。
(ソースは下のAERAの記事)
日本ではそのほうが安心で、「わたしは○○の信者です」と言うと相手に惹かれることはなく、引かれる可能性が高い。
日本では「宗教を信じていません!」と言っても、「ですよねー」と返事が返ってくるぐらいで特に問題はない。
でも、海外では違うと、チュニジアやラトビアの大使をしていた経験のある多賀敏行氏が指摘する。
『AERA dot.』(2022/08/27)
相手の国籍や文化が異なる状況で、「自分は無宗教です」と口にする場合、使う単語によっては嫌われたり怒らせたりする可能性もあります。日本の感覚とはまるで異なるので注意が必要です。
日本では違和感ない「無宗教です」の言葉も海外では危険 元大使が経験した“凍りついた”現場
そうかな?
ボクは付き合いのある外国人に「わたしは無宗教です」、「宗教を信じていません」の意味で、「I am not a religious person」とよく言うけど、これまでトラブルになったことは一度もい。
日本と外国では文化や感覚が違うのは分かるとして、海外でそれを口にするのは“危険”なんだろうのか?
違和感をもって記事を読んだら、氷解。
「自分は無宗教です」の意味で「atheist」という単語を使うと、その場の人や空間が“凍りつく”こともあるという。
なるほど、atheist(エイシエスト)か。
それなら分かる。
ただ、「atheist」なんて英単語を使う日本人はかなり少ないはずだ。
アプリで翻訳すると「I am not religious」と出てくるし、フツウの日本人がこの“危険”と遭遇することはまずない。
多賀氏は数十年以上前、イギリスの名門ケンブリッジの大学院にいた時、そんな体験をした。
「I’m an atheist(私は無神論者です)」と多賀さんが何気なく言うと、若いイギリス人やアメリカ人、それに下宿先のおばさんまで反応がおかしい。
「みな一瞬凍りついたような表情をして妙な雰囲気が漂う」という状態になった。
「not a religious」ならいいけど、「atheist」を使うのならそれなりの覚悟をしとけよ。
以前アメリカ人から、そんな注意をされたことがある。
というのは彼は、「わたしは宗教を信じません」と「神を信じません」の違いが分かっていない日本人と何人も会ったことがあるからだ。
英語で話をしていて「atheist」を名乗る日本人がいたから、「マジか?」と驚いて確認してみると、実は「not a religious person」の意味だったというケースが何度かあった。
個人的に付き合いのあるアメリカ人やヨーロッパ人には、「キリスト教は信じてないから教会には行かないけど、神は信じているし、個人的に祈ることはある」という人がよくいる。
欧米で「エイシエスト(無神論者)」というと、「神という存在がキライで、それを否定する人間」といったニュアンスがあるから、ごう慢とか挑戦的と受け止められることがあるらしい。
知人のなかで、1人だけアメリカ人の「atheist」がいる。
遠い過去から現在まで、神の名の下に多くの人が殺されてきた。それを嫌悪する彼は、そんな対立や争いの原因は神であると考えてその存在を“殺した”。
神を否定するそのアメリカ人は、キリスト教やイスラム教などの信者をわりと平気でバカにする。
ネットで「atheist」を自称する人のコメントを見ると、神やその存在を信じる人に憎悪や軽蔑の感情を持っていて、「神が世界や人間をつくったって、バカかよ」といった挑発的な内容がよくある。
だから、すさまじいネットバトルがぼっ発することもしばしば。
「わたしは無宗教です」と日本人が言う場合、「だから安心してください」というニュアンスがあると思う。(海外でこういう感覚は少ないような?)
それなら「atheist」は論外として、「I am not a religious person」でOK。
仏教徒(神道の信者)ですの意味で、「I’m a Buddhist(Shintoist)」と言えばまったく問題ない。
…と言いたいところなんだが、
「そうか、前から仏教について疑問があったんだ。日本の仏教にはいろんな宗派があるんだが、たとえば臨済宗と曹洞宗はどう違うんだ?」
とかツッコまれるかもしれないから(体験談)、これはこれで違う覚悟が必要だ。
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