【ソ連の闇歴史】日本人のシベリア抑留・ロシア語のノルマとダモイ

 

今回の話はまったくもってハッピーなことじゃないし、気持ちは暗くなるけど、でも忘れちゃいけない重要な闇歴史だ。

第二次世界大戦中の1945年5月にドイツが降伏すると、ヨーロッパでの戦闘が終わってソ連軍には余裕が出てきた。
それで長崎へ原子爆弾が投下された8月9日、領土の不可侵を約束した「日ソ中立条約」を一方的に破棄し、ソ連軍が日本へ攻め込んでくる。

ヒットポイントなんてほとんど残ってなかった日本に、ソ連軍の猛攻を押し戻す力なんてあるわけなく、1945年のきのう9月5日までに、ソ連は国後島、択捉島、色丹島、歯舞群島を占領しいまに続く北方領土問題の始まりとなった。

 

それと同時に、日本人の男女約60万人がソ連軍に連行され、シベリア、モンゴル、ウクライナなどなど各地で抑留生活や強制労働を余儀なくされた。
厳寒・粗末な食事・重労働のトリプル攻撃を受けて、約60万人が死亡したという。
この「シベリア抑留」問題もまだ終わってはいない。

 

日本へ帰国できた幸運な人たち(1946年)

 

この地獄を生き残った元捕虜の池田さんが南日本新聞で当時の生活を語っている。(2020/09/09)

ウクライナ抑留。紙も鉛筆もない。身ぶり手ぶり、必死にロシア語を覚えた。工場長から部屋に呼ばれ、突然の質問。「サムライはなぜ腹切りをするのか」と〈証言 語り継ぐ戦争〉

煙突に「名も知らぬ 港に到着 日本に帰れず」とクギでひっかいたような跡のある船で、池田さんはソ連へ到着した後、シベリア鉄道の貨車に詰め込まれてウクライナへと運ばれる。
現地では3交代勤務でレンガ工場やセメント工場で働かされ、食事はおかゆや黒パンが支給された。それでも抑留生活よりはマシだったとか。
製鉄工場にいたウクライナ人(かロシア人)は、独ソ戦で戦ったドイツ兵の捕虜に対しては鬼厳しかったけれど、日本人には比較的やさしく接してくれたという。
実際、他の地域に比べて、ウクライナでは日本人の死亡者が少なかった。

池田さんは日本人とロシア人との考え方の違いも話す。
作業前に日本人労働者が集まって話をしていると、「お前たちはなぜさっさと仕事を始めないんだ!」と監督が怒り出す。「効率的に作業を進めるための打ち合わせだ」と説明すると納得した。
ってことは、工場で働くロシア人にこんな発想はなかったか、一般的ではなかったということか。

 

いまではすっかり日本語になっている英語「normal(ノーマル)」は、ラテン語の「norma(定規)」に由来する。
同じ基準や規格にある状態を「ノーマル(正常の)」という。
だから規格外の「abnormal」だと「異常な」になる。

さて、今日の読売新聞でこんな記事を発見。(2022/09/05)

プーチン大統領、「志願兵」集めで大企業にノルマ…国営ロシア鉄道には1万人指示

ウクライナ戦争で苦戦しているロシアは兵力を確保するために、国内の企業にこんなむごいノルマを割り当てたという。
これで国営のロシア鉄道は従業員の中から、1万人の兵を集めないといけないらしい。
異世界アニメに出てくる暴君のような無茶ぶり。
「プーチン政権は、強制動員による国民の反発を警戒し、様々な手法で「志願兵」を集めている」と記事にある。
こういう身勝手さや強引さは「シベリア抑留」のころと変わっていない。
でも、奴隷状態に近かった日本人捕虜とは違い、これを嫌がる国民は多く、「難航が伝えられている」という。

決められた作業量をあらわすロシア語の「ノルマ」も、ラテン語の「norma(定規)」に由来する。
シベリアに抑留されていた人たちは現地で、ロシア語の「ダモイ(帰国)」と「ノルマ」を覚え、日本へ戻って家族と会うという夢のために、科せられた過酷なノルマをこなしていた。
自殺されて労働力が無くなるのを防ぐためだと思うが、ソ連はこういう飴を与えながら、日本人を働かせていたのだろう。

帰国してからは「ダモイ」なんて言葉は必要なく、「ノルマ」は日本中へ広まっていって、いまでは小学生でも知ってるほど社会に定着した。
ということは、強い立場の人間から指示される、強制的で一方的な仕事量をあらわす日本語はなかったということか?
戦後、旧ソ連が日本に与えた闇は本当に大きかった。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。