鎌倉時代のゲンコウには「元寇」と「元弘」がある。
1274年と1281年にモンゴル帝国と高麗の軍が攻めてきて、それを日本が返り討ちにして差し上げたのが元寇。
ただこれは遠征軍を撃退しただけで、幕府が新しく土地や金をゲットしたわけではない。
それで幕府には、敵と戦った御家人に対して与える褒美がなかったから、将軍と御家人のいわゆる「御恩と奉公」の関係が崩れていく。
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「命がけで戦ったのにボランティアかよ!」と御家人たちの怒りはすさまじく、借金を取り消す「徳政令」を出したぐらいではおさまらない。
ということで元寇をきっかけに、御家人たちの幕府への不満が高まっていく。
そんな日本に、「いつか政治の権利を取り戻してやる!」という悲願を持ってる男がいた。
後醍醐天皇はそんな全国に充満する反幕府の空気を察して、「トキはきた」と1331年に倒幕に立ち上がったことで元弘の乱がぼっ発。
楠木正成や護良親王らが天皇に味方して、最終的には1333年に新田義貞が鎌倉に攻め込んで、執権だった北条高時を自害に追い込んで鎌倉幕府を滅ぼす。
間接的に北条高時を殺したことになった後醍醐天皇は、高時の成仏を願って宝戒寺(ほうかいじ)の建立を足利尊氏に命じた。
これは恨みを残した高時が怨霊となって、自分に害を与えることを恐れたからだろう。
つまりは怨霊封じ。
とにかくこれでミッションコンプリート、倒幕成功。
武家の源頼朝に奪われて以来、約150年ぶりに政権を取り戻した後醍醐天皇は1333年に建武の新政を始めた。
と思ったら、足利尊氏との戦い(建武の乱)が起きてたった3年で崩壊。
1336年に武士が再び政治の権利を取り戻し、足利尊氏を将軍とする室町幕府が成立した。
ということで、1274年と1281年のゲンコウで打撃を受けた鎌倉幕府は弱体化し、1331年のゲンコウでトドメを刺されたことになる。
後醍醐天皇
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