「あっ、お月見するの忘れてた」
そんなウッカリさんでも、中国とは違うから日本なら安心だ。
2022年でいうと9月10日が十五夜の「お月見デー」で、もしそれを逃したとしても、10月8日には十三夜の「お月見デー」がある。
旧暦の秋は7月~9月で、その真ん中の8月(いまの9月)は「中秋」と呼ばれていて、この月の15日(十五夜)には美しい月が見られるとされていた。
中秋の15日に名月が見えるということだから、「中秋の名月=十五夜の月」になる。
中国から伝わった花見の風習をむかしの日本人はとても気に入ったようで、10世紀に宇多法皇は(旧暦の)9月13日の月を「無双」と表現して褒めたたえ、この日も月を見るようにし、日本独特の月見である十三夜がうまれたという。(月見)
そんなことから現代の日本では十五夜とは別で、10月に月見の「ラウンド2」があるのだ。
さてこの人物は、20世紀前半の歴史家で思想家の津田 左右吉(つだ そうきち)という。
津田左右吉(明治6年 – 昭和36年)
昭和初期の著名な歴史学者の津田は、日本は中国文化の世界に包み込まれたことはなく、中国から伝わった文化に独自の変化を加えて、自分たちの文化に変えたと指摘した。
日本のことを知れば知るほど、支那のことを知れば知るほど、日本人と支那人とは全く別世界の住民であることが強く感ぜられて来るのである。
「支那思想と日本 (津田 左右吉)」
*支那は中国のこと。いまこの言葉は侮辱語になるからNG。
十三夜の月を見て、歌人の西行はこんな歌を詠む。
「雲きえし 秋の中ばの 空よりも 月は今宵ぞ 名に負へりける」
(雲のない中秋の月のよりも、今宵(こよい)の月こそ、名月の名にふさわしい)
宇多法皇は十三夜の月を「無双」と評し、西行はこの日の月こそ名月だと言う。
月を眺めて、和歌を詠むのは日本だけの文化だ。
中国由来の十五夜とは別に、もう一つ月を愛でる日をつくった日本人には、やっぱり独特の感覚を持っていたことが分かる。
上下・優劣に関係なく、日本人と中国人はそれぞれ違う文化を持つ別世界の住民なのだ。
おまけ
江戸時代の僧で歌人の良寛(りょうかん)があるとき家に戻ると、留守中に泥棒が入ったことに気づいてこんな歌を詠んだ。
「盗人に とり残されし 窓の月」
せっかく盗みに入ったところで、質素な生活をしている自分の家には価値のあるものはない。泥棒はガッカリして、つまらない物を持って帰っていったのだろう。
そんなふうに泥棒の心情を察して、ふと窓の外を見ると、泥棒が盗り忘れた月が煌々(こうこう)と輝いていた。
断捨離の頂点を極めた良寛の生活や、やさしさや心の広さが肉汁のようにじみ出た名句だ。
この句を読むと、人間界で起きた小さな出来事を空から見守る満月さんが思い浮かぶ。
十五夜や十三夜に関係なく、日本人は月をこんなふうに眺めていたと思う。
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