「あの首相はほんとダメ。1ミリも期待できない。」
職場で仲の良い同僚にこう言った数日後、夜中に誰かが家のドアをノックする。
ドアを開けると見知らぬ人間が立っていて、彼らにどこかへ連れて行かれると、その人は二度と自宅へ戻ってくることはなかったーー。
そんな闇アニメの第一話みたいな出来事が旧東ドイツで実際にあった。
きょう10月18日は1989年に、東ドイツを支配していたエーリッヒ・ホーネッカーが失脚した日。
ソ連と同じように社会主義という間違った選択をした東ドイツは、ホーネッカーという間違った指導者に導かれて経済が悪化し、国民の心は離れていって1990年に自滅して西ドイツへ吸収された。
ホーネッカーはそんな冷戦時代の東ドイツを象徴する人物だ。
東ドイツの支配は「シュタージ」という秘密組織によって確立されていた。
シュタージは対外的には、敵国だった西ドイツへスパイを送り込んで情報を入手し、ブラント首相の個人秘書にまでなったギヨームのような伝説的な諜報員を生む。
国内には多くの密告者をバラまいて、国民の言動を監視させる体制を整えた。
だから、「あの首相はダメだ。早く消えてほしい」なんて反政府的なことを口にすると国家の敵と認定され、シュタージへ密告されてこんな独房へぶち込まれて拷問を受けることになる。
建物から飛び降りて西ドイツへ脱出する人や、ベルリンの壁が建設される様子もある。
シュタージに目をつけられた人物は仕事や家庭内での失敗、アルコールや薬物などへの依存的傾向、どんな性的嗜好を持っているかなどあらゆる情報を調べられ、精神的に追い詰められていく。
匿名の手紙や電話などで、ターゲットの恥部や弱点を身内や周囲の人にばらしたり、家や車の一部を少し壊して自分が監視されていることに気づかせる。
こちらからは見えないが、すべて見られているという恐怖。
既婚者ならハニートラップを仕掛けて、家庭を分断させたり離婚に追い込む。
シュタージはそんな陰湿なやり方で“反乱分子”の精神を破壊していく。
監視対象者本人と家族を含む周囲の人物との間に不和と相互不信を生じさせ、監視対象者の人間関係を破壊して孤立させ、心理的虐待を加えることで反体制的な意志の弱体化を図った。
東ドイツが無くなってシュタージが解体されると、今度は別の悲劇が待っていた。
信頼していた身内や友人、同僚が実はシュタージの関係者で、そりまで自分は見張られていたことが分かり、ショックを受けて精神病になったり家庭が崩壊した人もいた。
国家保安省(シュタージ)のエンブレム
知人のドイツ人の祖父母はそんな密告地獄の東ドイツに住んでいた。
祖父がまだ青年で企業で働いていたころ、詳しい内容は分からないが、休憩中に仲の良い(と思っていた)同僚に政府のグチを言う。
すると数日後、別の友人から連絡があって、「オマエの話がシュタージへ伝わった。家族も連行されてかもしれない。そうなったら命も危ない。だからすぐに逃げろ」と言われて、急に人生が終了してしまう。
「信用できると思って話したのに、アイツがオレを刺すなんて…」なんてことを考えてる場合じゃない。
すぐに荷物をまとめて西ドイツの国境へ向かう、ということはしない。
それでは周囲の人に怪しまれてまた通報されてしまうから、ちょっと外出するように簡単な手荷物だけを持って家を出た。
ラッキーなことにその時はまだベルリンの壁ができる前で、東から西へ歩いて行くことができたらしい。
それで家族全員が西ドイツへ入って叔父の家で暮らすこととなり、やがて知人が生まれた。
1961年に突然ベルリンの壁が築かれる前に、恐怖と抑圧の国から、自由の国へ逃げ出すことができて本当に運がよかった。
ホーネッカーが失脚するは1989年まで待っていたら、彼らはもうこの世に存在していなかったかも。
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