江戸時代の医学:ゾウの“ウ〇コ薬”・世界初の全身麻酔手術

 

きょう10月20日は江戸時代の蘭学者・杉田玄白が1733年に生まれた日だ。ハピバ。
医者をしていて健康には気をつけていたせいか、1817年に83歳で亡くなった玄白は江戸時代の人間としてはかなり長生きした。
そんなワイルドなスギちゃんはオランダの医学書『ターヘル・アナトミア』を日本語訳し、「日本最初の本格的な西洋医学の翻訳書」とも言われる 解体新書を世に出して日本の医学を大きく前進させた。
このとき玄白が訳した「神経」「軟骨」「動脈」「処女膜」といった日本語は、令和のいまも現在進行形で使用されている。
玄白と同時代を生きた山脇東洋は処刑された罪人の体を使って、1754年に国内初の人体解剖をおこない、日本に近代医学の道を示す。

そして杉田玄白がおじいちゃんになって、縁側に座ってひなたぼっこをしていたころ(おそらく)、1804年に華岡青州が世界で初めて全身麻酔による手術を成功させた。
その画期的な出来事を記念して、いまではその日10月7日は「麻酔の日」になっている。
欧米で初めて全身麻酔がおこなわれたのは約40年後だから、江戸時代の日本医学には、一部では世界でも最先端の知識やテクニックがあったのだ。

 

 

杉田玄白が生まれる20年ほど前に、上の「広南従四位白象」(こうなんじゅしいはくぞう)が日本へやってきて、“ゾウさんブーム”の社会現象を引き起こす。
広南とはベトナムにあった半独立国のことで、従四位とは日本社会におけるこの象の地位。
天皇も異国の巨大生物を見てみたいと思ったのだが、日本で最も高貴な方と直接会えるのは上流階級の人間だけ。
それで現在の日本人にも通じる形式主義から、この白象にも「従四位」の位階をあたえたという。
これは殿様クラスだから、庶民なら道のわきに土下座して直視できないレベルだ。

そんなアジアゾウを見て、感激した中御門(なかみかど)天皇はこんな和歌を詠む。

「時しあれは 人の国なるけたものも けふ九重に みるがうれしさ」

前々から興味のあった異国の象を九重(宮中)で見ることができて、今日は本当にうれしい。といった意味かと。

 

変わった亀が発見されると「それはメデタイ!」と改元してしまうほど、昔の日本人には超自然や迷信を信じていた。

【日本の元号】めでたいカメだ!霊亀・神亀・宝亀に改元だっ

それで多くの日本人さんがこのゾウをありがたがって、ゾウを見れば病気が治ると考える人も出てきて、象の体を拭いた布が災厄除けになるとガチで信じた武士もいた。
そんな風潮も手伝って、ついにゾウのウ〇コが薬になる。
ウン〇を乾燥させて丸めたものに「象洞」(ぞうほら)と名前を付けて、当時の流行病だった天然痘や麻疹(はしか)に効く! と、いまなら犯罪レベルのテキトーな宣伝と一緒に「象洞」が発売されるとこれが大ヒット。
最高に見ても「食べてもいいオソマ」程度のこの薬はホットケーキのように売れて、1年後には京都や大坂に象洞の店ができたという。
天皇に謁見したという事実も、この〇ンコの神秘性や市場価値を上げたと思われ。
このゾウが死んだのは1743年だから、杉田玄白も象洞を服用したかもしれない。

 

人体解剖をおこなったり西洋の医学書を翻訳したり、世界初の全身麻酔による手術を成功させた一方で、庶民はこんな迷信の世界に生きていた。
江戸時代の「医の世界」にはそんな二面性がある。
ただベトナムからゾウを連れてこようと考えた徳川吉宗は、社会に具体的に役立つ実学を重視していた。
それで科学技術についての知識を日本に広めるため、キリスト教以外の洋書の輸入を認める。
「ゾウさんブーム」もそんな海外文化への強い好奇心や関心の表れで、この社会的風潮がなかったら、きっと解体新書も麻酔手術もなかった。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。