【日印友好】日本人が知るべきインド人、チャンドラボース

 

日本で有名なインド人は誰か?

仏教の開祖・シャカもそうなんだろうけど、生きてた時代が古すぎていまいちピンとこない。
となると、歴史の授業で必ずならうインド独立の父・ガンディーか。
イギリスの植民地支配に不服従・不暴力の精神で対抗して、インド人と一緒に独立を勝ち取ったこの人物を知らない日本人はまずいない。

それと、「世界初のインド人演歌歌手」というキャッチコピーで1975年にデビューしたチャダさんもわりと有名だ。
福岡県でミカン栽培の研修をしていたとき、北島三郎さんに憧れて演歌歌手になったという変わった人物。
ターバンをかぶったインド人は少数派のシク教徒なのに、日本で「インド人=ターバンを巻いる人」のイメージが出来上がったのはチャダさんの影響ではないだろうか。

それと日本ではたぶん「知ってる人は知っている」のレベルで、一般的には無名に近い英雄チャンドラ・ボースがいる。

 

演歌を歌うシク教徒のチャダさん
公式HPのキャプチャー

 

きょう10月21日は1943年に、チャンドラ・ボースを指導者とする自由インド仮政府が発足した日だ。
これは太平洋戦争中、日本の占領下にあったシンガポールで、インド独立運動の活動家によって樹立された政府のこと。
この戦争で日本は「欧米の植民地支配に苦しむアジアの国々を解放する」という大義名分を掲げていたから、ボースらアジア各国の”代表者”を招いて大東亜会議を開いて、その大義を確認することもしていた。
これは当時の日本の主張で、実際にはどうだったかは歴史の授業で習ったとおりですよ。

 

大東亜会議で演説するボース

 

反英・インド独立にかけるボースの意志はホンモノだ。
彼と言葉を交わして、その熱い思いに触れたビルマ方面軍司令官の河辺正三中将が、

「りっぱな男だ。日本人にもあれほどの男はおらん」

と感心するほどに。
日本の支援を受けてインド国民軍を組織したボースは、イギリスを駆逐してインド独立を達成するために、日本軍と共に1944年に「インパール作戦」を戦った。
が、日本軍とインド国民軍はこの戦いでイギリス軍に惨敗。
翌45年8月15日に日本が降伏したことで、日本と協力してイギリスを追い出すことはもはや不可能となる。
日本はここで終了、でもボースの夢はまだ続く。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」とダレかに言われたボースは、次はソ連の支持を得ようと考える。
それで、ソ連軍のいた満州国へ行こうとボースが台湾で飛行機に乗ったところ、飛行場で事故にあって彼は致命傷を負う。
インド独立に生涯をかけたチャンドラ・ボースは死の間際にこう言ったという。

「私は祖国の自由のために死のうとしている。祖国に行き、祖国の人々にインドの自由のために戦い続けるよう伝えてくれ。インドは自由になるだろう。そして永遠に自由だ」

 

チャンドラ・ボース(右)とガンディー(左)

 

チャンドラ・ボースはいま、ガンディーと共にインドの国民的英雄になっている。
つい先月には首都デリーに彼の巨大な登場して、モディ首相が公開式に参加した。
インドでの圧倒的な知名度に比べると、日本でボースは無名も同然。
日印友好のためにも、歴史的に日本といちばん関係の深かったこの人物を、日本人はもっともっと知るべき。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。