きょう10月27日は「文字・活字文化の日」で、「読書週間」の1日目(~11月9日)でもある。
とうことで今回は、マジメで陰鬱な歴史の話をしようか。
10月27日は100年ほど前にさかのぼると、台湾で日本人と現地人がぶつかって多くの血が流れた「霧社事件」の起きた日だ。
まず1895年に日本が日清戦争に勝利して、下関条約によって清国が台湾を日本へゆずることになる。
でも、これからは日本人になると知った台湾の人たちは、「聞いてないよー」と不満を言うだけならよかったのだけど、アイデンティティーを根底からひっくり返されるのだから、それだけで終わるワケがない。
1895年の5月、日本領有に反対する人たちが「台湾民主国」という政権を樹立し、台湾割譲を阻止するため西洋諸国に訴える。
だがしかし、三国干渉で日本がロシア・ドイツ・フランスに譲歩したこともあって、諸外国は台湾民主国の主張を総スルー。
政権を自称するだけとなった台湾民主国は日本の攻撃を受けて、その年の11月に崩壊し、日本(台湾総督府)による全島平定宣言が出された。
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台湾原住民
ではここで、台湾に住む人たちを大ざっぱに2つに分けるとしよう。
台湾には中国大陸からやってきた漢民族と、それ以前から住んでいた先住民がいて、先住民の多くは人里離れた山の中に住んでいた。
ちなみに、日本では「原住民」は差別的ということで「先住民」と言っているのだが、台湾では逆に先住民は差別的ということで、原住民と言っている。
主に漢民族の抵抗組織である台湾民主国を瓦解させて「台湾平定」を終わらせると、日本は台湾統治を本格的に進めていき、やがて山林資源を求めて山の中にまで入っていく。
すると、今度は先住民とぶつかった。
過去には漢民族と先住民の衝突があったから、まさに歴史はくり返す。(理蕃政策)
清国に服従することなく、自立心の強かった先住民は「日本人」になることをダンコ拒否。
抵抗運動が始まると、ついに1930年(昭和5年)10月27日、最大規模の抗日反乱事件「霧社事件」がぼっ発する。
霧社(むしゃ)とは地名で、ここの小学校で行われていた運動会をセデック族が襲撃し、結果的に児童を含む130人以上の日本人が殺害された。
すると今度は日本のターン。
日本は現地の軍や警察、さらに先住民を味方につけて鎮圧作戦を開始する。
先住民にまとまりはなく、セデック族と対立していた先住民は日本に協力し、親日派のセデック族が抗日セデック族を攻撃することもあったのだ。
当時の霧社
日本の討伐部隊
討伐に参加する先住民
数百~千人ほどの死者を出して、この掃討作戦は終了する。
この蜂起事件に大ショックを受けた台湾総督府は、それまでの先住民への高圧的な態度を改め、教育を進めると同時に、セデック族を山から農業に適した地域へ移住させ、米作を普及させていくことで結果的に先住民の生活は豊かになった。(霧社事件)
では、現在の台湾人はどう思っているのか?
日本へ旅行に来た3人の台湾人(全員20代の女性)に質問すると、
「霧社事件ですか?聞いたことはありますけど、くわしいことは分かりません。もう過去の話で、いまは特に何も思いませんね。そもそもあれは先住民のことで、わたしたちには関係ないですから」
という話を聞いて、彼女たちが漢民族だったことを思い出した。
同じ台湾島に住んでいても、彼女らのアイデンティティーは漢民族にあって、先住民を「自分たちとは別の人間」と思っていた。100年前の先住民と同じように、現在の台湾人も「ひとつ」ではないらしい。
過去は過去で、いまはイマ。
現在の日台関係は超良好だ。
台湾人の「Hsu Hsu」さんの最新情報によると、地元企業と村民の寄付によってこのほど、戦死した日本兵士を祀る廟がリニューアルされた。
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