「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」
フランスのSF作家ジュール・ヴェルヌはそう言った。
人が空を飛んだり深海に潜ったりと、人間には努力と創意工夫によって夢を現実にする能力がある!
まーそれはそうなんだが、でも現実には「人が神の領域を犯さない限り」という縛りがあって、宗教のタブーを触れると実現は不可能になるかとても困難になる。
「Advanced Step in Innovative Mobility(新しい時代へ進化した革新的移動性)」を略してASIMO。
ホンダが世界で初めて開発した本格的な二足歩行ロボット「アシモ」は、人間の想像が現実になった具体例だ。
人と握手をする、障害物を避けて移動する、ダンスをするといった優秀なアシモの登場は世界を驚かせた。
力をコントロールすることができなくて、握手をしたら、バキバキと人間の手を握りつぶしてしまうと即スクラップにされてしまうから、人型ロボットの開発では微妙な力加減を身につけさせるといった技術力が不可欠。
でも、世界を相手にするのなら、もう一つ「宗教」という壁を越えないといけない。
だからホンダはアシモを開発する際、ヴァチカンにあるカトリックの総本山・ローマ教皇庁に意見を求めた。
ドイツで「家のお守り」のように使われているイエス=キリストの絵
きのう11月24日は「進化の日」だ。
1859年のこの日、イギリスのダーウィンによる『種の起源』が出版されたことを記念する日。
「人間はサルから進化した!それが進化論!」と、思っていた時期が私にもありました。
実際にはサルではなく、オランウータンやチンパンジーなどと「共通の祖先」からヒトは進化したと言われている。
同じご先祖から類人猿が進化していき、700万〜600万年前にヒトはチンパンジーと枝分かれして、独自に進化していき現代にいたる。
だから、人間(ヒト)の根源となった共通祖先=サルということではない。
ヒト、ゴリラ、チンパンジーなどの類人猿は同じ祖先から誕生した(進化した)という「進化論」の考え方を初めて提唱したのがダーウィン。
この説は、人間を含むすべての生物は神によってつくられたとするキリスト教の「創造論」を否定する内容だったから、当時は欧米を中心に猛烈な批判が起きて大議論となる。(進化論と宗教)
でも、日本は無風。
歴史的にはキリスト教を否定してきた日本は、こうした「進化論 vs 創造説」のバトルとは無縁の国だった。
だから、アメリカの学者モースが東大で日本初と言われる進化論の講義を行った時、米国と違って何の抗議もなかったことに感動する。
聴衆は極めて興味を持ったらしく思われ、そして、米国でよくあったような、宗教的の偏見に衝突することなしに、ダーウィンの理論を説明するのは、誠に愉快だった。講演を終った瞬間に、素晴しい、神経質な拍手が起り、私は頰の熱するのを覚えた。
「日本その日その日 (モース エドワード・シルヴェスター)」
欧米のキリスト教社会と違って、日本にはダーウィンの理論に反発する伝統的な考え方がなかったから、誰も怒らず聴いて素直に拍手をする。
当時のアメリカでこの行為はかなり挑発的で危険で、冗談抜きで襲われるかも。
でも、「誠に愉快だった」ということは、創造説や一神教に対する日本人の無関心や無知の表れでもある。
だから人間型ロボットを開発する際、ホンダがヴァチカンに意見を求めたと聞くと意外に感じるのでは?
国内で日本人だけを相手に商売するのならいい。
でも、全世界を相手にビジネスを展開するのなら、絶対にキリスト教を敵に回してはいけない。
ということで、ホンダのしていることは創造説に反していないかヴァチカンに確認してみたところ、二足歩行ロボットはそれと矛盾しないとのお墨付きをもらった。
(ASIMO・開発史)
ここでダメ出しをくらってたら、きっとアシモはこの世に生まれていなかった。
一神教で創造説を常識としているイスラム世界でも、こういう価値観や発想は基本的にキリスト教世界と同じ。
だから、無宗教を基本とする日本人なら配慮が必要になる。
まえに「進化論こそ世界のスタンダード」という前提で、日本にいるインドネシア人のイスラム教徒と話をしていたら、強い反発を受けて、空気が重苦しくなって窒息しそうになった。
こういう経験をすると、ロボット開発をするにあたって、ヴァチカンの許可を得るという発想は当然で不可欠のプロセスだと思う。
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