不平等条約の改正:鹿鳴館でバカにされ、力で認めさせた日本

 

明治の日本が「全力でいくか?」と、全身全霊をかけて目指したのが不平等条約の改正。
特に外国人が日本で犯罪を犯しても、日本の法で裁くことのできない治外法権が日本人には許せなかった。
確かにこれは不公平なんだが、治外法権を求めた当時の欧米人の気持ちも分からなくはない。
想像してごらん、海外にいる日本人にこんなことが起きたとしたら?

ロイター通信(2007年11月6日)

サウジ当局、窃盗の罰として男の右手を切断 

イスラム教のルールにしたがって、他人の物を盗んだエジプト人が右手を切断された。
他にもバスルームにコーランを置いたら、聖典を「汚した」とみなされて首を切断されたエジプト人もいる。
こんなのを知ったら、日本政府にとって最も重要な仕事は国民の安全を守ることだから、「いやいや、それは残酷すぎる。日本人はシャリーア(イスラム法)ではなくて、日本の法で裁かせてくれ」と言いたくなるのは理解できる。

話すを戻すと、明治時代には治外法権があったから、1886年にノルマントン号事件が起きると全日本人が激怒した。
ノルマントン号が沈没したのは事故だからしょうがない。
船長のイギリス人など乗っていた外国人を、付近の漁村の人たちが救助したのは立派だった。
でもその後、西洋人はすべて助かったのに、20人以上いた日本人の生存者は1人もいないことが判明。
外務大臣の井上馨(かおる)が「日本人全員死亡」の調査を始めるが、イギリスは真相究明に不快感を示してうまくいかない。
「西洋人の人種差別から、日本人の乗客は見殺しにされたのだ!」と考えた日本人は怒り心頭になるも、日本が外国人を拘束することも、裁くこともできない。
厳罰を願う日本人の気持ちなんてアウトオブ眼中で、イギリス領事館で行われた裁判では、船長をはじめ全員の無罪が言い渡された。
治外法権が認められていると、こういうことが起こるのだ。

「100:0」の日本人差別、ノルマントン号事件に国民激怒

 

「媚態外交」「弱腰外交」と叩かれた日本の初代外務大臣・井上馨

 

「不平等条約を改正しろー!」、「治外法権を撤廃しやがれー!」と日本が大声で叫んでも、欧米列強は耳を貸さない。
その大きな理由に、日本では少し前まで罪人を磔(はりつけ)や打ち首で残酷に処刑していたから、そんな蛮行から自国民を守る必要があると外国政府が考えていたことがある。
それでノルマントン号事件が起こる3年前、日本は以前とは違い、いまはヨーロッパの価値観や文化、マナーを身につけた国であることを知らせ、欧米列強に日本を理解させて交渉のテーブルに着いてもらおうとした。
「安心してください。日本は西洋のような近代国家ですよ♪」ということをアピールするため、欧化政策の一つとして井上馨が鹿鳴館(ろくめいかん)の建設をはじめて、1883年にその開館式を行った。
「鹿が鳴く」というネーミングは、中国の古典『詩経』にある「鹿がやさしい声で鳴いているところに、お客さんが来てくれた。その人を歓迎しよう」といった内容の『鹿鳴の詩』に由来する。

 

鹿鳴館

 

鹿鳴館で舞踏会や仮装会を開催して、日本人と直接触れ合うことで西洋人の理解や信頼を得て、不平等条約の交渉を進めようとしたが、日本は急ぎ過ぎた。
その少し前、1877年に日本最大の内戦である西南戦争が終わって、ようやく武士の風潮が消えたころに、日本人が急に西洋化するのは無理がある。
政府高官やその夫人も、西洋式のエチケットや食事のマナー、服の着方や舞踏会での踊りの仕方を身につけようと100%努力したけど、完全に空回りしてしまう。
西洋人からすれば「無様ね」、「ありえないわ」というレベルで、”西洋人になろうとする日本人”の姿は滑稽(こっけい)でみっともないものだった。

日本が西洋のような近代国家であることを認めさせて、不平等条約の改正に向けて欧米諸国と交渉を進めようと鹿鳴館外交を展開した結果、欧米人の失笑を買い、バカにされた。
ノルマントン号事件があったのはそんな時。
国内からは、「あまり西洋人にこびている!日本人としての誇りは無いのかー!」といった批判の声が高まっていき、井上が1887年に外務大臣を辞任するとそんな時代も終わりを迎える。
欧米人からしたら、やさしい鹿の鳴き声が聞こえたというより「草が生えた」という感じ。

 

しゃがんだり、キセルをふかす女性の風刺画
フランス人のビゴーは鹿鳴館の日本人をこう醜く描いた。(真ん中の女性はまるで猿)
当時の西洋人の目に、日本人はこんなふうに見えたはず。

 

着物から洋装に着替えてダンスを踊ったら、西洋人の冷笑を買った鹿鳴館。

 

日本人が西洋人になろうとするのは失敗だった。
その方針を変更した日本は軍事力や経済力を高めていって、日清戦争のころにようやく欧米列強にその力や地位を認められた。

日本からみれば、この戦争は完全な成功だった。西洋列強は喝采し、日本における彼らの『特権』を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本国天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。

「アメリカの鏡・日本 (角川ソフィア文庫) ヘレン・ミアーズ」

 

そしてこの後、ロシアに勝利したことで関税自主権を回復することに成功し、日本は悲願だった不平等条約の改正を実現させる。
海外の文化や制度を採用することも大事。
でも、やっぱり日本人は日本人として考え行動しないと、「猿まね」とバカにされるだけで世界の称賛は得られないのだ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。