2001年の夏に明石市で花火大会が開かれた際、歩道橋で人々がごった返して、小学生以下の児童9名と70代の女性2名の計11名が圧死する惨事が発生した。(明石花火大会歩道橋事故)
その事故と去年ソウルで起きた事故を比較して、韓国の全国紙・朝鮮日報がこんなコラムを載せる。(2023/02/13)
「安全は自分たちにも責任」と反省する日本社会、事故を政争の具にする韓国社会
約160名の犠牲者の出た「ソウル梨泰院雑踏事故」と明石の事故では、時代や規模が違うとしても群衆事故という点では同じだ。
日本ではこの時、適切な安全管理ができなかった明石市だけでなく、「行事に参加する人を含め市民の誰もが安全のため努力すべきだ」という意見が主流になった。
日本人は秩序とルールを特に重視するから、それが守られていなかったことに対して「市民社会から反省の声が出た」とコラムにある。
これに対して、韓国で自省の声が出てきたのは最初だけで、この事故は「たちまち政争の具」となったという。
これは与党(ユン現政権)と野党(ブン前政権)の支持者による非難合戦のこと。
たとえば「警察による統制が不十分だったから惨事が起こった」と主張する、主に政権に批判的な人たちが「警察の指示に従わず、現場ではもみ合い」が何度も起きた。
市民の側にも問題があったと「一億総反省」となった日本人とは対照的に、韓国では与党と野党の支持者による攻撃がエスカレートしていったと朝鮮日報が指摘。
惨事が政争の具に転落し、事故に対する市民社会の反省、あるいは安全な形でイベントを楽しむ方法などを考える声はもはやほとんど聞かれなくなった。
梨泰院の事故については、日本人と韓国人がお気に入りのグルメや観光スポットなんかを紹介するSNSグループで、個人的にもビックリしたことがある。
「今度、ソウル(東京)へ行きます。おススメのお店を教えてください。」といった投稿があると、山ほどの情報が集まって「みなさん、ありがとうございました」で終わる。
いつもはそんなほのぼのしたグループなのに、この事故の直後、「ユン政権になってから、韓国社会はおかしくなってしまった」と韓国人が政権批判のコメントを投稿すると、「原因はブン政権の時代に生まれた。それが明らかになっただけだ」といった返信が返ってきて、ほかの与党・野党の支持者も参加してバトルが発生する。
「ここはそういうことを言う場じゃない!」と別の韓国人が割って入ると、「自由な意見表明を封じるな!でないとまた悲劇が起こる!」とどっちからも怒られる。
目には見えない“政敵”をたたくことに夢中な韓国の人たちを見て、完全に置いてけぼりの日本人。
「政治的な投稿→すぐ削除」を何度も繰り返していると、政治バトルは収束してグループに平和が戻ってきた。
「自分たちにも責任がある」と反省した日本人とはかなり様子が違う。
それまで韓国の魅力を伝えていた韓国人が事故をきっかけに、激しいケンカを展開し、日本人がいちばん見たくない光景を見せたことはすごく印象的だった。
だから、「両国の違いは鮮明になってきた」と朝鮮日報が指摘する内容を読んですごく納得。
不幸な事故を政争という愚に変えることは、日本人にもあるとしても、その傾向はやっぱり韓国人のほうが熱くて激しい。
さて韓国は置いといて、いまの日本はどうなのか?
最近のニュースを見ていると20年前に比べて、いまの日本人のモラルやマナーが向上しているとは思えない。
安全は自分たちの責任でもあるという反省を忘れると、また悲劇が起きるかも。
平昌オリンピックの寒さは”人災”!?韓国人の2つの国民性が背後に
韓国で不幸な事故を政争に利用する傾向が大きい理由は、北韓(北朝鮮)のためです。
韓国の左派は事実上「従北」集団です。彼らの目的は自由民主主義の大韓民国を崩壊させ、北韓のような共産主義社会を作ることです。そのため、彼らは韓国国民の葛藤を助長し、社会混乱を煽ります。反日感情を極度に拡散させたのも、まさにその努力の一環です。
ところが問題は左派のこうした扇動に国民が惑わされるということです。
北韓が存在する限り、韓国内の左派は消えることはなく、韓国社会は継続的な混同の中にあるでしょう。