イスラム教徒の女性は髪を隠すために、こんなヒジャブを頭につけている。
公式な宗教はイスラム教と定められているイランでは、女性が外出するときには、こんなヒジャブを“しっかり”かぶっていないといけない。
イランにはそれをチェックする宗教(道徳)警察がいて、適切にヒジャブをつけていなかったという理由で、きょねん逮捕された女性が死亡して、大規模な抗議デモが起きたことは記憶に新しい。
日本はそんな宗教国家の反対側にある国だから、宗教法が社会の法律になることはないし、市民にそれを守らせる警察もいない。
いまの日本は政治と宗教が切り離されたそんな世俗国家だけど、歴史をみればそうでもない時期もあった。
静岡県の雄・浜松市には火の神を祀(まつ)る秋葉神社があって、そこで12月に行われる「火まつり」にアメリカ人を連れて行ったことがある。
このまつりの目的には、火事や水害、病気などのさまざまな不幸から人びとを守ったり、開運を願ったりすることがある。
「この祭はいつから始まったんだ?」とアメリカ人に聞かれたから、パンフレットにあった「1300年の伝統」と答えると、「アメリカ建国の千年以上も前じゃないか!」とビックリされた。
古代の日本ではこれが政治だった。
地震や洪水などの災害や作物の豊作/凶作など、この世に起こることは神の意思と考えたご先祖さまは、神を祀って平和や豊かな生活を祈った。
大昔の日本人にとってはそれが政治で、その影響は、いまでも「まつりごと」を漢字変換すると「政」となることに残っている。
幸いも災いもすべては神意と考えると、上のような儀式をして神をよろこばせる発想が出てくるから、「祭=政治」となった。
こんなふうに政治と宗教が一体化した社会は、歴史を見れば世界中にある。
でも日本はちょっと、いやかなり変わった国だ。
日本では奈良や平安時代に祭祀をつかさどる神祇官(じんぎかん)と、いまの国会や政府にように律法や行政を担当する太政官があった。
*この場合の「神」は天の神、「祇」は地の神のことで、その2つを合わせると日本中の神々になる。
律令制度ではこの神祇官と太政官が最上位にあったから、当時の日本人が「まつり」をどれほど重要視していたかが分かる。
大宝律令にある神祇官は参考にした唐には無かったから、きっと日本独自の存在だ。
でも、時代が進むにつれて神祇官は歴史の中へ消えていく。
でも明治時代になると、明治政府は神祇官と太政官がよみがえった。
*明治の太政官は「だじょうかん」と読む。
欧米列強をモデルにして、近代化国家を目指した日本が新しい国づくりをするために、古代の政治制度を復活させたというのが日本の歴史のユニークなところ。
幕府と将軍が廃止されて天皇が政治のトップに立つと、明治政府は祭祀と政治を一体化する「祭政一致」を日本の基本にした。
このシステムは日本独特のもので、英語にするのはむずかしいらしい。
日本語において神道には必ずしも限定されていないものの、祭政一致は英語ではSaisei itchiとしてそのまま神道の用語として用いられており
これによって天皇を神格化して、国民を一つにまとめる目的が明治政府にあったはず。
国際社会を知らなかった江戸時代の日本人にとって、「国」とは自分の藩のことだったから、そんな古い意識をぶっ壊して「日本国民」を創造するには、天皇を頂点として日本人に一体感を持たせることは有効だ。
こんな感じに日本は近代になって、政治と宗教が融合した時期があった。が、天皇を政治的に利用した反省から、いまでは政治と宗教はキッパリはっきり分かれている。
ちなみに神道には教義が無いから、いまのイスラム国家みたいに、宗教法がそのまま社会の法律になることもなかった。
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