レストランのオーナーが警察へワイロを渡して”買収済み”だから、その店で飲み食いした帰りに飲酒運転をして、警察官に見つかっとしても、店の名刺を見せると「いってヨシ」と見逃される。
日本に住んでいるタイ人が母国へ戻った時、そんな呆れた実態を知って悲しくなった。
日本ならこんなことは絶対に起こらない。
そのタイ人が日本を好きな理由のひとつが社会的なキレイさで、彼女は5年ほど住んでいて、役所の役人や警察官からワイロを要求されたことは一度もない。
幕末の日本を訪れたこの人もタイ人と同じことを感じた。
シュリーマン
ヨハン・ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユリウス・シュリーマン(ながっ)はクリミア戦争で金持ちになったドイツの考古学者で、ギリシア神話に出てくる伝説の都市トロイアの発掘に成功して世界的に有名になった人。
彼はそれを見つけた時、「トロイアは本当にあったんだ…。父さんは嘘つきじゃなかった」と言ったという。しらんけど。
そんなシュリーマンは1865年に日本へやってきた。
当時の日本はまさに激変期。
京都では新撰組が、外国人を嫌う攘夷(じょうい)志士を「悪・即・斬」で見つけしだい斬っていた。
池田屋で行われていた攘夷志士の会合に新撰組が突撃し、9人を殺害して20人ほど捕まえ、新撰組の名を有名にした池田屋事件があったのは、シュリーマンが来日する前年の1864年のこと。
会合の場へ早く着きすぎてしまって、「まだみんな集まってないのか。出直してこよう」と池田屋を出て別の場所にいたことで、新撰組の襲撃を免れた桂小五郎は本当に持ってる男だ。
1866年に坂本龍馬の仲介でその桂小五郎と西郷隆盛が話し合って薩長同盟が成立して、その連合軍の攻撃をうけて68年に徳川幕府は崩壊した。
ということでシュリーマンが見たころの日本は、武士の価値観や態度が支配的な世の中だったのだ。
横浜港から入国する際、彼はトランクを開けて荷物のチェックを受けることを嫌がって、税関の役人にワイロをわたして見逃してもらおうと考えた。
彼はそっとカネを出してウインクすると、役人は黙って受け取って「行け」と合図する。
…という展開を期待したのだろう。
でも当時の役人は名誉を重んじて、それを失うぐらいなら切腹を選ぶような気高い武士だった。
役人から「ニッポンムスコ」(たぶん日本男児の意)と言われて、ワイロの受け取りを拒否されたシュリーマンはビックリする。
同時に、彼は武士の高潔な態度に感心した。
彼らに対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼らのほうも、現金を受け取るくらいなら『切腹』を選ぶのである
「シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫)」
ちなみに、中国(清)ではワイロを渡したらうまくいったから、シュリーマンは日本でもそれが通じると思ったらしい。
日本へ入国する際には、荷物を運んだ人が少額の金しか受け取らなかったから、中国だったらその4倍は平気で吹っ掛けただろうというから、シュリーマンはここでも日中の違いを感じたようだ。
日本国内ではいつも役人が付いて回って、自由に行動できないことに彼はウンザリする。
でも、「欲得ずくで警備に励んでいるのではない」「精勤ぶりに驚かされる」とその熱心な仕事ぶりを高く評価した。
外国人というだけで、刀を抜いて襲ってくる攘夷志士がいた幕末だったから、安全上これは仕方ない。
「日本人だから」という理由でワイロを拒否して、シュリーマンを驚かせた精神はいまの日本にも息づいているから、タイ人はそこをすごく気に入っている。
今も昔も、日本人は汚いことが嫌いなクリーン民族なのだ。
…というワケでもないことは、東京五輪をめぐる汚職事件で分かった。
いまの日本では武士のコスプレはよくあるけれど、名誉を汚すことを何よりも嫌った高潔な精神はどこまで残っているのか。
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