日本の夏の風物詩である花火大会が、いま変化のトキを迎えている。
大津市で開かれた「びわ湖大花火大会」では、混雑を緩和するために今年から、有料席エリアを囲むように高さ約4メートルの目隠しフェンスが設置された。
これによって、チケットを持っていない市民は、去年までのように無料で花火を見ることができなくなった。
主催者サイドは安全対策を強調するが、地元では、無料の観客を締め出すためと理解した人が多い。
近ごろの日本では、花火大会を有料にする動きが広がっていて、ネット上で意見が分かれて議論が盛り上がっている。
今年から、全席が有料になった京都の「保津川市民花火大会」もその一つだ。
京都新聞(8/22)
花火大会の有料化、議論勃発 市民「見られないのおかしい」ロイヤル席「ランクあっていい」
入場料は2千円からで、約2万5千席の観覧席はほぼ完売した。
もっとも高いロイヤル席(1万5千円)は、駐車場代としてさらに3千円が必要でも、約270席の全てが埋まったというから、主催者側はもう無料化には戻れないだろう。
花火大会の有料化について、ネットの反応を見てみると、賛成派はこんなことを言う。
・無料だと混雑して危険だから仕方ない
・お金は払わないけど、楽しみたいは通じない
大して、反対派はこんな主張をする。
・花火の文化を終わらせる気かよ
・庶民のささやかな楽しみが奪われていく、この流れは結構やばい
ちなみに、上の記事について「ヤフコメ」でいちばん支持を集めた意見は、主催者が地元住民に配慮して、騒音やゴミ、渋滞の対策をしっかりやったうえで、花火大会を有料化していくというものだ。
でないと、花火ではなく、住民の怒りが爆発する予感。
京都では、1960年から宇治川花火大会が行われていた。
20万人以上の観客を集めたこともあるこの花火大会は、費用を捻出できないことが大きな理由になって、2017年に廃止された。(宇治川花火大会)
誰にとっても無料のイベントなんてまずあり得ない。
これまで、日本に住んでいるアメリカ人、ドイツ人、アフリカ人、中国人、インド人、バングラデシュ人、トルコ人を花火大会に連れて行ったことがある。
その花火大会は静岡県では大きなもので、すべて無料で楽しむことができた。
彼らは国籍、人種、宗教、文化、そして社会的な立場も違う。
にもかかわらず、花火大会の有料化についてどう思うか聞くと、金額などの細かい違いはあっても、みんなそれを支持すると言う。
全員一致で賛成という結果は意外だ。
それじゃまるで、日本人がドケチ民族のように見えてしまうじゃないか。
こんな大規模なショーを開催するには、多額の費用が必要になることは誰にでも分かる。
それを楽しむためには、相応の対価を払うというのが外国人には常識的な発想のようで、ボクが花火に誘った時、チケット代はいくらか聞く外国人もいた。そして、無料と分かるとビックリする。
海外では、新年や独立記念日などのイベントで、よく花火が打ち上げられる。
その花火はお祝いの雰囲気を盛り上げる演出で、コンサートで言うなら、主役を引き立てるバックダンサーのようなもの。
でも、日本では花火が主役で、花火大会はそれを楽しむのイベントだから、とても見応えがある。
外国人からは、日本の花火大会についてこんな感想をよく聞いた。
普通の打ち上げ花火のほかにも、ハートやニコニコマークなどの変わった花火があったし、連発して打ち上げるスターマインやナイアガラなど、いろいろな種類の花火を見ることができた。
こんな素晴らしい日本の文化を無料で見られることは、もちろんとても嬉しい。
でも、あんなに楽しいショーなら、喜んで料金を払うことができる。
有料にすれば、あのクソ暑い中、場所を確保するために2~3時間も待つ必要がないし、花火をゆったりと楽しむことができる。
それに、混雑も減少するというメリットを考えると、有料にした方がいいのでは?
日本では、花火大会のほかにも、無料で楽しむことができるイベントや場所がたくさんあると外国人からよく言われる。
タンザニア人やバングラデシュ人と一緒に、桜と桃の共演を見に行くと(下の写真)、彼らは「これだけの木を育てるには、相当な時間とお金がかかったはずなのに、なんで無料で開放しているのか?」と不思議そうな顔をした。
河津桜と菜の花畑を見たベトナム人や、植物園でたくさんのバラが咲いているのを見たナイジェリア人は、「母国でこれだけのものを見るなら、有料の施設に行かないといけない。これを無料で見られる日本はいいね!」と笑顔を見せた。
でも、これを不自然に思う外国人もいて、「これは、誰がどんな目的で世話をしているんだ?」と無料になる仕組みについて、何回か質問された。
以前、日本の学校で英語を教えていて、いまはロサンゼルスに住んでいるアメリカ人に、日本との違いを聞くと、彼女はこんなことを話す。
「日本にいた時は、浜松まつりの凧あげとか、タダで楽しめることがたくさんあった。でも、ロサンゼルスでは、お金が無いと何もできない。得られる楽しみの大きさも、支払う金額によって違ってくる。ここで無料なのは、ビーチと夕日ぐらいなものね」
ということで、さまざまな外国人から話を聞くと、日本は世界的にも、タダで楽しむことができる機会がとても多いようだ。
でも、最近の日本社会の動きを見ると、花火大会のように、無料が当然だったラッキーな時代はもうピークを過ぎた気がする。
海外では、「嫌なら見るな」の考え方が日本より一般的にあって、お金によって明確に区別されることが珍しくない。
そして、市民はそれを差別ではなく、むしろ平等と受け止めている。
これからは日本でも、楽しみには対価を払うことが常識的になっていくと思う。
そうでないと、宇治川花火大会みたいに、誰も楽しめないという完全な平等が実現し、「沈黙の夏」になるかもしれない。
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