そうか。
きょう10月11日は、1947年(昭和22年)に山口 良忠(よしただ)が亡くなった日か。
そう聞くと、「悔やみ申し上げます。でダレ?」となる人が多いと思う。
山口 良忠は、ルールを守り過ぎた人物として知られている。
戦後すぐの食糧難の時代、裁判官をしていた山口は、闇米を食べていた人を裁く立場にいた。が、じつは自分も闇米を食べていた。
彼はそのことに罪悪感を感じるようになり、食糧管理法をきっちり守って闇米を拒否した結果、餓死してしまった。
この例は特別だとしても、外国人から見ると日本人は一般的にルールに厳しい。
山口 良忠
知り合いのインド人留学生(20代・女性)が、ことしの9月に大学を卒業して、日本企業で働くために、静岡から神奈川へ引っ越しをした。
その少し前に、新しい人生のスタートを祝って、彼女に食事をおごることになった(ただしサイゼリヤ)。
日本に3年間住んでいた経験から、日本人とインド人の違いについてたずねたところ、彼女が指摘した最大の違いは「ルール守り過ぎ」だった。
日本にもインドにも、どこの社会にも守るべきルールがある。
規則にはそれぞれ目的や意味があるのだけど、彼女から見ると日本人はその点で鈍感。
彼女は自動車学校に通っていた時、特にそれを強く感じたと言う。
日本語で質問することがうまくできないし、意味不明なルールも守らないといけなかったから、ストレスもたまっていき、インド人的にはかなりハードな日々だったらしい。
たとえば、車に乗る際には、周囲の安全を確認することは分かるが、しゃがんで車の下まで見る必要があるとは思えない。
しかも、死角があるということで、車の後方へ移動して、また同じようにしゃがんで障害物を確認しないといけない。
車に乗ると、ルームミラーを調整することになっている。
その時には左手を使って、ミラーの左側をつまんで調整するのがルールで、ルームミラーの真ん中や右側を持って調整してはいけない。
ほかにも細かい規則が山盛りあって、その意味や必要性が分からなくても、彼女はそれぞれの動きを覚えて機械的に行っていた。
インド人の性格や考え方からすると、これはかなりツラい経験だったらしい。
意味不明なコトが多くて疑問を感じたから、免許と車を持っている日本人の友人に聞いたところ、「実際にやるワケないじゃん。それはね、免許を取るために必要な儀式なんだよ」と一蹴されたの巻。
自動車学校では、常に両手でハンドルを「9時15分」(または10時10分)の位置で持つように指導されたけど、街では片手で運転している人をよく見る。
友人の話によると、相手に道を譲ってもらったら、「サンキューハザード」をして感謝を伝えることは多いし、「ありがとう」や「早く行け」の意味でクラクションやパッシングを使うこともある。
*これらの行為は道路交通法違反になる。
でも、ふつうの警察官はそんな場面を見ても、車を止めてドライバーに切符を切ることはないと思う。
缶コーヒーを飲んでいるドライバーを捕まえていたら、日本の物流がストップしてしまう。
学校で習ったことは現実では必要なく、実際の運転で使う技術や知識は教えてくれない。
彼女としてはそう思うことが多くあって、高い授業料を考えると、無意味さを感じてイライラしてくる。
友人はそんなインド人に、「儀式」と思って割り切れとアドバイスをする。
考えるな、感じるな、ただやり方を覚えてそのとおりやればいい、と。
日本人なら、意味や目的が分からなくても、「それがルールだから」という理由で素直に従うことができる。
彼女は、この点がインド人とは大きく違うなと感じた。
このインド人の意見では、日本人はルールを「守るもの」と理解していて、そこで思考が停止するから、ルールの背後にあるものを考えようとしない。
たとえば以前、こんなことがあった。
日本人の友人と一緒に街を歩いて赤信号があると、360°どこにも車が見当たらないのに、友人は足を止めて信号が変わるのを待つ。
ふだんその友人は何かをしようとすると、「~してもいい?」とよく自分に確認するのに、この時は何も言わず、当然のように止まった。
*以下、彼女の個人的な意見。
ルールは安全を守るために存在する。
だから、大きな目的である安全を守っていれば、その場に応じて多少ルールは変えていい。でなければ、ロボットと同じだ。
インド人はそういう柔軟性を重視するから、ルールは知っていても、その場で自分で最適解を考え出して行動する。
車が無くても、赤信号だから止まるという発想に付き合わされて、正直イライラした。
インドでは逆に、交通ルールがあっても守る人がいない。
インドにいたころは、車やバイクのドライバーが逆走や信号無視をするのは毎日のように見たし、ぶっちゃけ自分もたまにした。
違反をして警察に捕まっても、お金を出せば見逃してくれるし、警察がワイロを要求してくることもある。
警察や政治家がルールや法を無視するのだから、市民が守るワケない。
自動車学校での経験は特別だとしても、彼女はこの3年間で、意味が分からなくても、「それがルールだから守る」という日本人の姿勢に何度もあきれたし、感心もした。
だから、この点がとても印象的で、インド人との違いだと考えている。
同時に彼女は、ルール順守が日本人の強みや美点であることも理解している。
駅では自然に列ができて、横入りをする人はいないし、ゴミのポイ捨てをしないから、街がすごくキレイで気分が良い。
一人一人の日本人がしっかりルールやきまりを守るおかげで、自分は快適に暮らすことができている。
それも分かっているから、日本人の厳格さを否定するつもりはない。
ただ、ルールの意味や目的を考えて、状況に応じて柔軟に行動することも日本人に必要だと、一人のインド人として強く感じている。
インド・コルカタの日常風景
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