アフリカ大陸で最も高い山がキリマンジャロで、その高さは5895メートルになる。
日本ではコーヒーで有名なこの山は、東アジアのタンザニアにある。
個人的に、この名前は「キリマン・ジャロ」で区切ると思っていたのだけど、じつは「キリマ(山)」と「ンジャロ(白さ)」の合成語だった。
「白く輝く山」といった意味らしい。
最近、日本の小学6年生の女の子がこの山の登頂に成功し、それがニュースになった。
その子は本でキリマンジャロの存在を知り、「大きなプリンみたいな形できれい」と興味を持って、いつかその頂に立つことを夢見ていた。
クラファンで約85万円の資金を集めて、母親と一緒にキリマンジャロ登山に挑戦し、見事やってのけた少女は「言葉にならないほど、うれしかった」と話す。
青春マンガみたいに「俺たちの戦いはこれからだ!」と終わるのではなく、この子は高校生のうちに、南極大陸で最高の山に登りたいと抱負を語る。
ちなみに、キリマンジャロ登頂に成功した最高齢の人は89歳だ。
まぁどっちもスゴイ。
キリマンジャロは19世紀の中ごろ、ヨーロッパ人に見つかってしまい、知られるようになった。
当時のヨーロッパ人は地元住民の意思なんてガン無視。
1885年のベルリン会議で、キリマンジャロはドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の誕生日プレゼントとして、イギリスから割譲された。
キリマンジャロの登頂に初めて成功したヨーロッパ人は、1889年のドイツ人ハンス・マイヤーと言われている。
現代では世界的に有名な観光地として、外国人旅行者が訪れている。
…と、ここまでの登場人物でタンザニア人はいない。
キリマンジャロとヨーロッパ人の探検隊(1911年)
数年前、日本の大学に留学していたタンザニア人と富士山ではなくて、富士山がキレイに見える浜石岳へハイキングに行った。
富士山とキリマンジャロはそれぞれ日本とタンザニアの最高峰で、両国のシンボル的な存在になっている。
でも、タンザニア人の話によると、キリマンジャロは外国人が登る山で、ほとんどのタンザニア国民には縁がない。
キリマンジャロを登るにはとんでもない額の費用が必要で、タンザニアの平均的な労働者にとっては月収の数倍、下手したら年収に匹敵するほど高額だから、普通の人には手が出ない。
日本の感覚だとおそらく数百万円だから、まず予算の壁を超えられない。
そんな話をした知人はタンザニアへ帰った後は、日本で学んだ知識や技術を祖国発展のために使いたいと考えている。
そしてタンザニアが発展し、いつかキリマンジャロを「自分たちの手に取り戻したい」と言う。
といっても、彼に外国人を排斥する意図はない。
そもそも、そのためにはたくさんの外国人旅行者が登山に来て、タンザニアにお金を落としてもらう必要がある。
今回、日本の小学生が登頂したことで、日本でキリマンジャロの知名度が上がれば、ほかの日本人も来てくれるかもしれない。
タンザニアの知人は浜石岳に登って、富士山を見たことに満足していて、キリマンジャロに登ることは考えていない。
彼にとって重要なことは、キリマンジャロがたくさんの外国人を呼んで、タンザニア経済が発展し、国民の生活がラクになること。
日本人にとっての富士山のように、タンザニア人にとってキリマンジャロが小学生でも登れるほど身近な山になればいいのだけど、その日はまだまったく見えない。
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