あさって6月15日にサッカー日本代表と試合をするために、エルサルバドル代表が来日した。
初めて日本を見た選手たちは「私たちの国とは違い、とても近代的で美しい国」、「清潔できれいな国」と印象を語る。
試合をする前に、相手国のいいところをアピールするのは礼儀のひとつだ。
でも外国人のこういう発言があると、日本のネットでは、
「こういうお世辞をすぐ真に受けちゃう馬鹿がいる」
「来日リップサービスにすぐむきーってなる人かわいそう」
とスポーツとは別の争いがよく起こる。
そういえば知人のタンザニア人も日本へやってきた時、「とても近代的で美しい国」、「清潔できれいな国」というエルサルバドル人と同じ印象を持った。
彼はそれに深く感心すると同時に、別の面での日本人のレベルの低さを知って驚いた。
彼の出身地のザンジバルについては「知ってる。ガンダムに出てくるジオン軍の兵器だよね?」という人が日本では多いと思われる。
その元ネタとなった実在のザンジバルはタンザニアの東に浮かぶ島で、沖縄よりチョット大きい広さに100万人以上が住んでいる。
イギリスのロックバンド「クイーン」のフレディ・マーキュリーが生まれた場所としても有名だ。
こんな島からやってきたアフリカ人の話では、イギリスの植民地だったタンザニアでは学校教育が整備されたのもその時代で、イギリス人は現地民に英語を習得させようとしたから、現在のタンザニアで英語はかなり通じる。
ただし、バラツキがある。
タンザニアの都市部なら英語でのコミュニケーションは日常風景だけど、地方へ行くと、英語を話す必要性がないから一気に通じなくなる。
ちなみにザンジバルとイギリスといえば、1896年に世界で最も短い時間で終わった「イギリス・ザンジバル戦争」があった場所だ。
ザンジバルは有名な観光地で世界中から観光客がやってくるから、レストランやホテルのスタッフなど外国人を相手にする人なら、英語を話せないと話(商売)にならない。
だから、こういう人たちはもうペラペラだし、住民もかなり英語が分かる。
でも、外国人が足を運ばないような田舎の村に行くと英語は無意味になって、スワヒリ語を話せないと、全身を使って身振り手振りで意思を伝えるしかなくなる。
知人が生まれ育ったところは観光地に近いエリアだったから、子どものころから英語は身近にあったし、大学の授業は英語で行われていたから、かなり流暢(りゅうちょう)な英語を話すことができた。
タンザニア人の知り合いのいるイギリス人が言うには、大卒のタンザニア人の英語力はイギリス人とほとんど同じ。
数年前に、そんなタンザニア人が留学生として日本へやってきた。
成田か羽田空港に降り立った後、電車で東京へ行ってその街並みを見た彼は、圧倒的な文明を前に「未来ずら~」と驚くことは特になかった。
というのはタンザニア最大の都市ダルエスサラームは東アフリカでも最大の都市で、近代的なビルがズラリと並んでいるから、東京のビル群を見ても「想像以上にスゴイな」と思ったぐらいで衝撃までは受けなかった。
そんなことより、彼が驚いたのは街の清潔さ。
道にゴミが落ちてないし、壁の崩れた建物もない。落書きもとても少なくて、どこもすごくキレイな国だなと強い印象を受けたという。
この国の人たちの教育レベルはすごく高いに違いない、と思った彼はすぐにそうでもないことを知る。
ホテルのフロントにいた従業員の話す英語は、「ザンジバルの中学生のほうがマシでは?」と思うようなレベルだったし、街中で道をたずねると相手はしどろもどろになる。
世界的な先進国の首都で、これほど英語が通じないというのは彼にとってはまったくの予想外。
さらに九州にある大学へ通うようになると、日本では大学生さえほとんど英語を話せないという事実を知って衝撃を受けた。
都市部や大学で英語が通じないというのはタンザニアではあり得ない。
でも都市も地方も、どこの街もすごくキレイというのはタンザニアではあり得ない。
日本人のこういう二面性が彼にはとても印象的で、ここでは英語教育のレベルは低いが、国民の「Discipline(規律正しさ、しつけ)」のレベルはとても高いと感じた。
母国の教育ではこの Disciplineが欠けている。
タンザニア人が思ったことは、20世紀を代表する学者アインシュタインの考察ときっと同じ。
「日本人のすばらしさは、きちんとした躾(しつけ)や心のやさしさにある」
エルサルバドルの選手が感じたことの背景にあるのも、きちんとしたしつけだ。
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