東京・下町で中学1年生の集団が廃工場に立てこもって、大人たちと“戦争”を始める。
そんな「ぼくらの七日間戦争」という小説がむかしあった。
フィクションじゃなくてリアル世界を見てみると、ギネスに「世界最短の戦争」と記録されている戦争は「45分」で終わっている。
事実は小説より奇なり。
中学生の戦いもに遠く及ばないその戦争は「イギリス・ザンジバル戦争」といって、1896年のきょう8月27日に始まって、サッカーの前半ほどの時間で終わった。
東アフリカの国タンザニアにあるザンジバル島で1896年の8月25日、イギリス寄りだったスルタン(支配者)が亡くなった。
この後、イギリスにとって好ましくない人物がスルタンになったことで、怒ったイギリスは彼に軍を解散させ王宮を去るよう要求する。
対してスルタンは衛兵を集結させて、王宮に立てこもって徹底抗戦の構えを見せた。
でも同時に、「貴国が我々を攻撃するとは信じていない」とイギリス軍に言っているから、このスルタンは覚悟を決めてなかったらしい。
自分が支配者になっても、イギリス軍は何とか見逃してくれると考えていたようだ。
「恋と戦争は手段を選ばない」というイギリスに、こんなアマイ要求が通じるワケない。
午前9時にイギリスの軍艦が砲撃を開始。
3000人の守備兵や召使い、奴隷のいる木造の王宮に大砲がドカドカぶち込まれると、9時40分ごろ王宮は火事になり、旗もなくなって戦闘は終わった。
スルタン側の戦死・負傷者は500名で、イギリス軍では1人が負傷しただけ。
これでザンジバル島はイギリスが支配することとなった。
戦闘時間には38分間、40分間、45分間と諸説あるけど、ギネスの公式記録では「45分」になっている。
The shortest war on record was that between Britain and Zanzibar (now part of Tanzania), which lasted from 9:00 am to 9:45 am on 27 August 1896.
イギリス軍の砲撃を受けた王宮
人類の歴史の中には最短があれば、最も長く続いた戦争もある。
世界最長の戦争は1651年~1986年までだから、なんと335年間だ。
なんでこんなに続いたのかというと、やってる本人が忘れてたから。
この「三百三十五年戦争」の原因はもともとはイギリスの内戦にある。
清教徒革命で国王チャールズ1世を処刑した後、クロムウェルは議会軍を率いて国王軍との戦いを優位に進めていく。
コーナーへ追い詰められた国王軍では、主要戦力である海軍がイギリスの南西沖にあって、国王派の貴族が統治していたシリー諸島へ撤退する。
この時オランダはイギリスとの友好関係を希望し、議会軍か国王軍のどちらか勝ちそうな方と同盟を組もうと考えていた。
でも、海軍がシリー諸島にいる国王軍から攻撃を受けたことで、1651年にオランダは議会軍へ宣戦布告し戦争が始まった。
と思ったら、その直後に国王軍は議会軍へ降伏する。
敵が勝手に消滅したから、オランダ艦隊はやることがなくなってUターンして母国へ引き返す。
当然、死傷者・負傷者はゼロ。
そして当事者が亡くなって歴史は流れ、20世紀後半になって、イギリスの歴史家があの宣戦布告はまだ有効で、戦争は継続されていることを“発見”し、それをロンドンのオランダ大使館へ伝える。
オランダはあの時イギリスという国ではなく、その中にあった一勢力に対して宣戦を布告するというかなりイレギュラーをした。
しかも、戦わずに終わってしまったから、オランダは戦争終結を公式に宣言してなかったのだ。
そんな17世紀の出来事を知らされたオランダは、「あっ…、てへぺろ☆(・ω<)」という状態。
それで1986年に駐英オランダ大使がシリー諸島で平和条約に調印したことで、1651年から続いていた「誰も知らない戦争」が終結した。
一切の戦闘がなかったから、「三百三十五年戦争」は人類の歴史上、もっとも犠牲者が少なく、長く続いた戦争と言われている。
「ぼくらの七日間戦争」よりフィクションみたいな戦争がリアルにあった。
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