「力なき正義は無力である。正義なき力は暴力である」
17世紀のフランスの哲学者パスカルはこんな言葉を残した。
いま世界で、この言葉が最もふさわしい状況がパレスチナにある。
ちょうど1か月前、イスラム組織ハマスがイスラエルに奇襲攻撃をしかけて、赤ん坊からお年寄りまで1000人以上が死亡し、200人以上が拉致された。
その後、あるイスラエル人がSNSにこんな投稿をした。
90 year old woman. Dragged from her room. Shot in the head. Imagine it was your grandmother.
(90歳のおばあさんが部屋から引きずり出され、頭を撃ち抜かれた。それがあなたの祖母だったら、どう思いますか?)
この卑劣なテロ行為に正義なんてない。最悪の暴力だ。
これによってイスラエルとハマスの軍事衝突がはじまり、ハマスの拠点のあるガザ地区では、もう1万人以上の犠牲者が出ている。
この間、世界はイスラエルにさまざまな圧力をかけてきた。
イスラエルがガザ地区への電気や水などの供給をストップし、“完全封鎖”を行うと、EUは「国際法に違反している」と非難する。
ガザへの空爆が激化すると、国連のグテレス事務総長は「われわれは奈落の淵にいる」、「(ガザは)子どもたちの墓場になっている」と危機感を表明し、停戦を求めた。
ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は「神の名において、お願いだからやめてください。武器の使用をやめてください」と“懇願”した。
しかし、イスラエルは聞く耳を持たない。
国防相はハマスに対して「死ぬか、無条件降伏しかない」と迫り、さらに強力な攻撃を行う構えを見せ、停戦要求に応じる気配はまるでない。
結局、力のない正義は無力だ。
イスラエルは自衛権を行使しているつもりなんだろうが、学校や病院を攻撃して、多くの民間人の犠牲になっているから、正義を失って暴力化しつつある。
イスラエル初の首相ゴルダ・メイアはこう言った。
「われわれは同情されて死ぬよりは、悪印象を持たれても生きる方を選ぶ」
個人的にもイスラエル人から、こんな言葉を聞いたことがある。
「戦争は最後の最後まで避けないといけない。それでも、一度始めたら、必ず勝たないといけない。そうでなければ、イスラエルは地上から消えてしまう」
1948年から1973年までに4回あった中東戦争で、イスラエルはすべて勝利した。もし、一度でも敗北していたら、イスラエルが消滅していたことは間違いない。
いまイスラエルの人たちは「生存」を最優先に考えていて、他国の意見に従うつもりはないのだろう。
この記事を書いた後、読売新聞が、イスラエルとハマスの戦闘をストップさせるためには、諸外国が武器や弾薬の提供を断つことが有効だと提案した。
確かに、この圧力をかけつつ唱える正義は無力ではない。が、米欧やアラブ諸国がそれに応じるかは未知数。
世界の多くの国では、イスラエルとパレスチナを支持する人たちが激しく対立している。
これが国際社会の分裂を引き起こし、無力化する原因にもなっている。
イスラエルは無差別に攻撃しているのではなく、ハマスが軍事利用している民間施設をターゲットにしていると主張した。
こうなると、病院や学校に攻撃拠点をつくったハマスが悪いことになる。
ただ、イスラエルが世界に正当性を訴えるということは、国際社会の声はまったく無力でないということでもある。
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