京都人のいけずと、東ヨーロッパ人の無表情の“共通点”

 

数年前、東ヨーロッパから来た2人のリトアニア人を京都へ連れてった。
その旅行中、ボクが大学時代に京都に住んでいた経験から、彼らに京都の「いけず文化」について話をした。

日本人には本音と建前があって、思っていることと言っていることが違う場合があるから、そいれに戸惑う外国人は数しれず。
しかし、京都人はスペシャルだ。
古都に住む人たちは、自分の気持ちを遠回しに伝えるテクニックに長けているから、ほかの地域の日本人では理解できないこともある。

もし、京都人が「ぶぶ漬け(お茶漬け)でもどうどす?」とニッコリ言ったら、それは「早く帰ってくれ」という意味だから、すぐに撤退しないといけないーー。
まぁいまの京都で、実際にそんなことを言う人はいないだろうけど、京都独特の「いけず(意地悪)」を表す話として語り継がれている。
しかし、ある人が京都人と話をしている最中に「良い時計してますなぁ」と言われ、後になってから、それは「話が長い」という意味だったと気づいた日本人がいたのはガチ。

 

最近、京都で扇子店の女将をしている女性が、そんな文化を利用して「裏がある京都人のいけずステッカー」を土産物として売り出した。
たとえば、表では和服を着た女性(女将)が上品にほほ笑んで、

「小っちゃい郵便受けしかおへんですんまへん。おおきに、はばかりさん(ご苦労さまです)」

と言っているが、裏にはこんな本音が書いてある。

「しょーもないチラシいれんな迷惑やねん」

「小さい郵便受けですみません」は、じつは「チラシを入れるな」という意味なのだ。

 

 

なんで京都で、いけずの文化が生まれたのか?
ボクが京都人に聞いて、よく返ってきた答えは、千年帝都である京の都にはたくさんの有力者がいて、権力が集中していたからというもの。
政府や他人に対する批判や不満を直接的に言うと、それが自分に返ってきて、不利益や処罰を受けてしまう。
だから、後から言い訳ができるように、遠回しで、さまざまな解釈のできる言い回しが一般的になったと。
よそから来た人には、それがいけず(意地悪)に聞こえる。

つい最近も、京都人が集まるSNSグループを見ていたら、ある京都人のメンバーがいけずについて、こんな壮大なことを語っていた。

藤原一族の隆盛、平家の栄枯盛衰、朝廷と鎌倉幕府の対立、応仁の乱、本能寺の変、朝廷と徳川幕府の対立、佐幕派と攘夷派の争いや新選組の活躍…。
平安時代から幕末にかけて、京都では権力をめぐる争いが絶えず、処刑された人間も多かった。
京都で生きるにはそんな危険もあったから、人々は自然と真意を遠回しに伝える“知恵”を身に着けていく。
明治時代になって天皇が東京へ移動し、京都が権力闘争の舞台ではなくなると、かつての知恵は「いけず文化」になっていった。

この説には、たくさんの京都人が同意していた。
まぁ、「千年帝都」のプライドがくすぐられる説なら、たいていは支持されると思うが。

 

ポーランド

 

京都旅行でリトアニア人に、京都の「いけず文化」は、自分の身を守るために生まれた術(すべ)だったと話すと、彼らは「東ヨーロッパにもそれと似た考え方があったよ」と意外なことを言う。
彼らによれば、西ヨーロッパでは人々が陽気で笑顔をよく見かけるけど、東ヨーロッパの人たちは全体的に無表情で、機嫌が悪そうに見える人が多い。
だから、東ヨーロッパ諸国の社会は西に比べると、何となく重くて暗い雰囲気がただよっている。

同じヨーロッパ人なのに、なんでこんな違いが生まれたのか?
2人の共通した意見は、リトアニアやポーランド、東ドイツなどの東ヨーロッパ諸国がかつて共産主義を採用していて、息苦しい「密告社会」だったから。
共産主義時代には各国の政府が国民を監視し、政治に対する不満や批判を厳しく取り締まっていた。

もし、誰かが政府批判をすると、それを聞いた誰かが当局へ密告する。
するとある夜、秘密警察が家のドアをノックし、批判した人はどこかへ連れ去られ、二度と戻ってこない。
これは都市伝説ではなく、東ヨーロッパではリアルに起きていた。
政府は国民に“反乱分子”の密告を奨励していて、友人や近所の人が密告者かどうか分からなかったから、国民が発言するときには、いつも注意しなければならなかった。
そんな周囲への不信感から、人々は疑心暗鬼になり、自由に本音を言うことはできなくなり、表情も硬くなっていった。
2人はそんな話をする。

東ヨーロッパで人々の表情が暗い理由について、Chat GPTに聞くと、

「国家機関や他の市民による密告が広く行われ、これが人々の間に疑念や緊張を生む一因となりました」

と、リトアニア人と同じ回答が返ってきた。

 

英語版クォーラにはこんな質問がある。

Why are people from former communist countries in Eastern Europe usually so cold and grumpy?
(東欧の旧共産圏の人々は、なぜあんなに冷たくて不機嫌なのだろう?)

東欧諸国のボスだった元ソビエト人(ex-Soviet)がこう答える。

Maybe it was sensible to wear a mask in a communist environment.
(共産主義の環境では、“マスク”を付けることが賢明だったのだろう)

ソビエト時代は初対面の人間には警戒し、信頼できると確信できた場合に初めて顔から“マスク”を取り、自由に交流することができたという。

友人のドイツ人の祖母は東ドイツに住んでいて、命の危険を感じるような経験をした。
ある日、夫が職場で親しい(と思っていた)同僚と話をしていて、「最近は生活が厳しくて大変だよ」とつい不満を口にする。
すると、まったく別の友人から夫へ連絡があり、「当局がその話を知ったから、おそらくおまえは近いうちに逮捕される」と聞かされて、同僚に“刺された”ことを知った。
自分が警察に捕まったら、家族まで拷問を受けるかもしれない。
一家は最低限の物を持って、急いで西ドイツへ亡命した。
共産主義社会では、密告は政府に忠誠心を示すスバラシイ行為として奨励され、賞賛されたという。
東ヨーロッパの人々は不信や緊張感のある社会にいたから、感情や気持ちを自由に表現できず、無表情になっていった。
民主主義社会の西ヨーロッパは、安心して思ったことを口にできるから、自由や解放感があって人々の表情も明るい。

ただ、東ヨーロッパで共産主義が崩壊してから、もう20年以上が過ぎている。
リトアニア人が言うには、都市部にいる若者たちはわりと明るくて、高齢の人たちとは雰囲気がかなり違う。

 

ということで、今回の話のまとめ。

京都と東ヨーロッパには、思ったことをそのまま口にすると、不幸な結果を招く可能性があったから、「物言えば唇寒し」の空気があった。
だから、人々は自己防衛や警戒心から、“マスク”をかぶって人と接していた。
京都では本音を遠回し&婉曲に言う「いけずの文化」が生まれ、東ヨーロッパでは言葉が少なくなり、表情もなくなった。
最大の違いは、東ヨーロッパでは、それをステッカーにして商品化するアイデアは絶対に生まれないってこと。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。