「日本と台湾の違いって、ナンだと思います?」
日本に住んでいる台湾人にそんなことを聞くと、彼は「文化的にはカレンダーですね」と言う。
台湾では、仕事や日常生活では西暦(太陽暦)が使われていて、伝統行事は太陰暦にもとづいて行なわれる。
だから、新年の時期が違って、台湾の正月は日本の約1ヶ月後になる。
日本人は仕事も伝統行事も太陽暦(西暦)にもとづいているから、台湾人と違って、2種類のカレンダーは基本的には必要ない。
知人の台湾人のスマホ画面
「農暦」がきっと太陰暦のこと
日本では1872年に、太陰暦から太陽暦の切り替えが行なわれたが、それが急すぎて、社会は大混乱におちいる。
明治政府は欧米をモデルに近代化を進めていて、江戸時代まで使っていた太陰暦を廃止し、日本も太陽暦を導入する必要があると考えていた。
そこで明治5年の11月9日、政府は来月12月2日を太陰暦の最後の日にして、次の日から1月1日になることを発表した。
これが現代に続く太陽暦のはじまりで、それまでの太陰暦は「旧暦」となった。
ちなみに、それを記念して12月3日は「カレンダーの日」になっている。
太陰暦が太陽暦に変更されるのはいいとしても、それが23日後というのはいくら何でも急すぎる。国民を舐めている。
12月2日が“大みそか”になったから、この年は12月(師走)が2日しかないことになる。
いきなり正月がやってくると知らされて、国民は「ステーキじゃねえんだぞ!」と激怒したかは分からないが、パニック状態にはなった。
しかも、それまで日本人は、1日を約2時間ずつに分けて考える「十二時辰(じゅうにじしん)」で生活していたのに、それも12月2日で廃止され、1日を24時間に分ける新システムが採用されることになったのだ。
カレンダーや時間の概念が変わるから、国民にしてみれば「聞いてないよ〜」という言葉も出なくなるような驚天動地の出来事。
「師走(12月)」の由来には、お坊さん(師)が一年の最後の月に各家庭を回って法事をするから、走るほど忙しくなるという説がある。
人々は長屋(今でいうアパート)の家賃を年末にまとめて払っていたし、新年を迎えるための大掃除もしないといけない。
お店にとっては、当時はツケ払いが一般的だったから、年末はその代金を回収する重要で慌ただしい時期だった。
そうしたことが、「今年は来月12月2日で終わりまーす」という政府の発表ですべて狂ってしまった。
カレンダー業者はすでに旧暦で暦を作っていたし、鉄道会社も時間が変わってしまって対応が大変だったらしい。
太陰暦から太陽暦に変わったタイミングで、福沢諭吉が『改暦辨』を世に出すと、これが爆発的に売れた。
この中で諭吉は、国民に十分な説明をしないで、準備期間も与えなかった政府を批判したが、改暦そのものは支持して、政府に変わってその良さを国民にアピールした。
太陰暦では毎年日にちが微妙にズレるから、現在でも太陰暦で正月を迎えている台湾や韓国などでは、新年の日が年によって異なっている。
諭吉はその不便さを指摘し、旧暦に関する「迷信」を強く批判する。
幕末〜明治時代の日本人は縁起の良い/悪いにとても敏感で、結婚・引っ越し・旅行などの日を吉凶で占って決めていた。
今でも吉凶を気にする人はいるけれど、この当時の日本人はそのレベルが違う。
暑い夏でも占いで葬式の日をのばし、死体が腐ることもあったほど迷信を深く信じていたから、福沢諭吉は太陽暦を採用することで、そうした「迷(まよい)の種」を無くし、合理的に考えて行動することの重要性を訴えた。
彼は、太陽暦の導入を疑問に思う人間は「無学文盲の馬鹿者」で、これを理解して受け入れる人間は「知者なり」という。
福沢諭吉はこの改暦によって、日本中の馬鹿者と知者を区別することができると挑発的に書く。
この本の影響もあって、新暦は日本に受け入れられて現在まで続いている。
福沢諭吉にとっては「財神」がいる方角とか、何をするには「不利」という感覚が「迷の種」になる。
なんで明治政府は1872年に太陽暦を導入したのか?
その理由として、よく財政危機が指摘される。
太陰暦では、翌年の明治6年には閏月があるから、一年が13カ月あることになる。
だから、その前に西暦を採用すれば、全国の役人に支払う給料は12カ月分で済み、さらに2日しかない12月の給料は“なし”にすることができる。
つまり、役人の2ヶ月分の給料をカットでき、それだけ国の財政がラクになるから、政府はこのタイミングで改暦を断行したと言われる。(でも突然すぎ)
西洋列強と同じ太陽暦を採用することで、日本も文明国家の仲間入りをすることができるーー。
国民にとってはそんな誇り高い説明よりも、役人の給料を2ヶ月分カットできるという事実の方が納得しやすかったのでは?
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