カトリック教徒のハンガリー人が、日本のお寺で感じたこと

 

まったく知らなかったけど、日本には『月刊住職』というお坊さんのための専門誌がある。
いまは出版不況の嵐が吹き荒れていて、廃刊や休刊に追い込まれたり、季刊誌になったりする雑誌も多いのに、月刊でやっていけてるってのはスゴイ。
『月刊住職』の最新号は、日本各地でクマ被害が多発していることから、創刊から約50年の歴史で初めて「クマ特集」を組むことになった。

お寺にクマが現れたら、お坊さんも叫び声を上げながら木魚を投げつけるだろうけど、ハンガリー人なら歓迎してくれるはず。
最近、日本にいるハンガリー人のカップルをお寺へ案内して、いろいろな話を聞いたから、今回は彼らが感じたことを紹介しようと思う。
2人はカトリック教徒だから、その観点から仏教やお寺を見たらどう思うか?
ちなみに、第一弾はこの記事だ。

ハンガリー人は日本の仏教に何を思う? 地獄・線香・哲学編

 

そこを渡ったら、もう引き返すことはできない。
そんな一方通行の川として、世界的に有名なのはヨーロッパのルビコン川で、日本仏教には三途の川がある。
お寺の中には、この世(此岸)とあの世(彼岸)を分ける三途の川の絵があった。

 

 

ハンガリー人はこの川を見て、あの川を思い浮かべた。

「ギリシア神話でも同じような話があるんだ。生者の世界と死者の世界の間には『ステュクス』という川があって、死者の魂はそこを通って、ハデス(死者の国を支配する神)のいる冥府へ行くことになっている。2つの世界を川で区切る発想は同じだ。仏教とギリシア神話には、深い部分でつながりがあるかもしれない。」

三途の川を知り、「ステュクス川」を連想する欧米人はほかにもいた。

仏教とギリシャ神話の共通点 “三途の川”で欧米人が思ったコト

 

ステュクス川

 

2人にとって、こんなお寺の外観がとても印象的だった。

 

 

 

「このお寺は日本の伝統的な建物と同じように見えるから、私たちには宗教の場所だと気づかない。カトリックの教会とは逆の発想だね。教会は天に向かうように高くつくられ、先端がとがって独特の形をしているから、ほかの建築物とぜんぜん違うから、一目で宗教施設とわかるんだ。」

2つの異なる世界や空間には“セパレーション”があって、日本仏教では、この世とあの世を三途の川で分けていた。
キリスト教で教会は神聖な空間だから、高さや形などで普通の建物とはっきり分けているらしい。

日本のお寺の場合、部屋の床には畳が敷きつめられていて、障子やふすまもあるから、「ボクの目には旅館のように見える」と言うドイツ人もいた。
そう言われると、たしかに日本のお寺はほかの伝統建築物と大きく変わらない。
少なくともヨーロッパの教会のように、圧倒的な存在感のある“オンリーワン”の建物ではなくて、お寺は日本の町並みに溶け込んでいる。

以前、イスラム教徒のバングラデシュ人をここに案内したとき、彼は門の前を何度も通ったのに、宗教施設だとまったく気づかなったと驚いていた。
モスク(イスラム礼拝所)も独特で一般的な建物とは違う。

 

 

今回ハンガリー人が感じたように、日本とヨーロッパの社会を大まかに見ると、日本の仏教では聖俗の区別があいまいだけど、カトリックでは厳しく分けられている。
きっとお坊さんと信者の距離も、カトリックの神父と信者(信徒)の距離よりずっと近い。
日本の仏教僧は女性と付き合って結婚し、子どもが生まれたら家庭を持つことができる。
クリスマスにはお坊さんがサンタクロースの格好をして、幼稚園の子どもたちにお菓子をプレゼントすることもあると話すと、彼らは「マジでっ」と目を大きくした。

カトリックの神父は結婚が厳禁されていて、もし、どうしてもしたかったら神父をやめないといけない。
それに、神父が異教の祭りで“コスプレ”することなんて考えられないから、2人は日本の仏教僧の自由さを知って驚いた。
でも、プロテスタントの牧師なら結婚してもいいから、ありえない話ではないと言う。

 

タイの仏教寺院は白や金色が多く、独特の飾りもあるから一目でわかる。

 

でも、やっぱり日本のお寺は、温泉や旅館とかのふつうの場所じゃない。
入り口には手水舎(ちょうずや)があって、手を洗って口をゆすいでから中に入ることになっている。
ここで俗世の汚れを払って心身を清め、神聖な空間に入るように、はっきりとした区切りがある。

 

 

彼らはこれについては、カトリック教会も同じと言う。
教会の入り口には聖水の入った器があるから、2人は指でその水に触れて自分の額につけ、右手の指で十字を切ってから教会の中へ入っていた。
*指を額・胸・左肩・右肩の順番で動かして十字架の形を描く。
聖水をつける目的は、神の祝福を受けて心身を清らかにするためだと。

手水も聖水で、「清浄化」という目的も重なっている。
ということで、日本のお寺はほかの伝統的な建築物と見た目が似ていても、入り口で“儀式”を行うことで、カトリック教会と同じように聖俗の違いをつけている。
やっと共通点が見つかった。

 

ドイツの教会にある聖水盤

 

…とこのときは思ったのだけど、後で調べてみたら、手水とカトリックの聖水は別ものだった。
水を体の一部につけて、建物の中へ入ることは同じでも、その後の扱い方が違う。

カトリックでは、入り口の聖水やミサで司祭が使う水は、一般的な水のように下水として流すことが許されていない。

In Catholicism, holy water, as well as water used during the washing of the priest’s hands at Mass, is not allowed to be disposed of in regular plumbing.

Holy water 

 

カトリック教会では、聖水を適切に処理するための特別な器があって、そこから直接地面へ流すようになっているらしい。
お寺や神社にある手水は使うときは聖水でも、その後は家庭排水と同じように処理しているはず。
やっぱりカトリックでは“神聖さ”が強調されていて、日本の仏教は、ハンガリー人が感じたように距離が近くて庶民的だ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。