大戦時の日本とタイの関係 タッグを組むも、分かれた明暗

 

第二次世界大戦中、日本はドイツとイタリアと同盟関係を結んでいた。
この「日独伊三国同盟」は教科書に太文字で書いてある重要な出来事だから、知ってる人も多いはずだ。
では、「日泰同盟」はどうだろう?
大戦時、日本は東南アジアでは、タイとタッグを組んでいたことはあまり知られていない。

1941年12月8日、日本軍が真珠湾にある米軍基地を攻撃し、太平洋戦争がはじまった。と、一般的に思われているのだけど、じつはその約1時間前に日本軍はマレー半島に上陸作戦を行っていたのだ。
だから、厳密には、太平洋戦争の開始は真珠湾攻撃ではなく、「マレー上陸作戦」になる。
といっても、1時間なんて誤差みたいなもので、インパクとしては、真珠湾攻撃のほうがはるかに大きいから、太平洋戦争の開始は真珠湾攻撃と考えてヨシ。
それに、「待ってました」とばかりに、ドヤ顔で相手を否定する人間は嫌われる。

 

1943年の大東亜会議に参加したビルマやフィリピン、インドなどの首脳。
中央の軍服を着ているのが東條英機で、その左側に立っているのがタイの代表。

 

日本は太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼んでいた。
当時、東南アジアはイギリスやオランダ、フランスの支配下にあったから、日本はヨーロッパ勢力を駆逐し、アジアの国々を解放しようと考えた。
そして、日本を中心にアジアが繁栄するという「大東亜共栄圏」を掲げる。
そうは言っても、実際には、日本軍によって東南アジアの人たちが苦しい思いをしたことは否定できない。

ただ、この考え方からすると、タイは“対象外”となる。
というのは、当時タイは独立を守っていて、日本に“解放”してもらう必要はなかったから。
日本の敵は欧米で、アジアではない。
そのため日本はタイに対して、交戦するつもりはなく、協力してほしいと伝えた。
タイは東南アジアの中心に位置していて、日本軍がイギリス軍のいるマレー半島やビルマと戦うには、そこを通る必要があったから。

 

タイは日本の要請に応じたが、それには条件があった。
タイは独立を保つために、イギリスやフランスに領土の一部を譲っていて、それを屈辱的に思い、いつか取り戻したいと考えていた。
しかし、独力では絶対にムリ。
そのため、タイは日本軍に国内の通過を認める代わりに、日本に領土回復に協力することを約束させた。

こうして双方の利害が一致した結果、日本とタイは1941年のきょう12月21日、「日泰攻守同盟条約」を結び、タイはアメリカとイギリスに対して宣戦布告をした。
このときのタイは日本に協力的で、外務大臣は来日して靖国神社を参拝している。
詳しい流れは以下で確認確認。

日本軍進駐下のタイ」 「日本軍のタイ進駐

 

タイは日本に協力し、英仏に宣戦布告をしたから、敗戦国になるはずだった。
しかし、タイはしたたかな外交を展開した結果、連合国から敗戦国と見なされず、裁きもまぬがれた。

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原爆を2度も落とされて降伏し、戦後は、東條英機など7人が絞首刑になった日本とは、明暗がはっきりと分かれた。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。