きょう1月16日は、1486年に山城国(京都南部)でおきた一揆で、農民などが宇治平等院に集まり、重要な話し合いを行った日。
その内容は、この地で争っていた大名の畠山氏に撤退を要求し、これからは自分たちでルールを作って統治するというもの。
これで実際に畠山氏は出ていき、以後8年間は農民たちによる自治が行われた。
日本史ではレアな共和制が実現したのだ。
でも、これを「日本の始まり」とする話は聞いたことがない。
京都でこんな騒動があったころ、ドイツでも1493 年に「ブントシューの一揆」と呼ばれる農民反乱が発生。
ブントシューとは農民の靴のことで、それがこの一揆のシンボルとなった。
この反乱はすぐに鎮圧されたが、この動きが1524年の「ドイツ農民戦争」の呼び水となる。
この戦争は、 1789 年のフランス革命がぼっ発するまで、ヨーロッパで発生した最大の民衆蜂起だ。
ドイツ農民戦争は、一般の日本人にはかすりもしないけど、世界史を選択した高校生なら必ず学ぶ重要な出来事だ。
さて、外国人にこんな質問をされたら、どう答えればいいだろう?
「日本はいつ始まりしましたか?」
神話によれば、紀元前660年に神武天皇が即位して、日本はスタートしたことになっている。
「日本はいつ始まりましたか?」
歴史的には、7世紀後半に「日本」という国名ができたとされているから、その時期を日本の始まりとみることができる。
「日本」という名称は、聖徳太子が中国の皇帝に送った国書に書かれていた「日出づる処(ひいづるところ)」に由来するという。
この国書では、中国の皇帝を「日没する処の天子」と天皇と対等に表現し、日本と中国を同格とした。
そんなことで、個人的には7世紀ごろから日本国が始まったと考えている。
友人のドイツ人に同じ質問をしたら、彼は「ドイツ農民戦争」を挙げた。
なるほど。だが待ってほしい。
むかし読んだ歴史の本で、「ドイツは1871年にドイツ帝国として統一されたことから始まった」と書いてあったから、彼もそう言うだろうと思っていたら、まったく想定外の答えが返ってきた。
彼はバイエルン州の出身で、当時バイエルンは独立国でドイツ帝国には含まれていなかったから、「1871年に始まった」説は認められないらしい。
現在のバイエルン州はドイツ最大の州で、アディダスやアウディなどの世界的な企業の本社があって、経済力もナンバーワン。
彼としては「バイエルンなしのドイツ」は考えらない。
では、なんで「ドイツの始まり」として、農民戦争をチョイスしたのか?
彼の考えでは、農民や都市の住民たちは勝利を得ることができなかったが、彼らは封建的な支配からの解放や、自分たちの自由と権利を求めて戦ったから。
この戦争で農民たちは、支配者側に「12の要求」を突きつけた。
・税金の余剰金は、村の貧しい人たちを支援するために使う。(=おまえたちの飲み食いに使うな)
・これまで、自分たちは農奴のように扱われてきたが、私たちは自由で、これからも自由であり続けたいと宣言する。
・貴族は私たちに、合意以上の労働をさせてはならない。
*くわしいことは「Twelve Articles」で確認しよう。
すると、神聖ローマ帝国や各地の貴族たちは山城国の一揆と同じように、農民たちの要求を受け入れた、というハッピーエンドにはならなかった。
圧倒的な資金と充実した武器、それに訓練を受けた軍人集団を持っていた貴族たちに、そのすべてに欠けていた農民たちが勝てるはずない。
攻撃というよりは虐殺が始まり、 農民たちは30 万人のうち最大で10 万人が殺害されたという。
現在のドイツ国民にとって、個人の自由と権利は最も重要な価値で、それを守ることはとても尊い行為とされる。
こんなドイツ人的な考え方が歴史上、初めて具体的に表れたのが農民戦争だったから、彼はこれを「ドイツの始まり」とした。
確かに現代のドイツ人は自分の権利をとても大切にし、それが侵害されると強く抗議する。
労働条件にもシビアで、日本人みたいにプライベートを犠牲にすることはなく、時間になったらサッサと帰ってしまう。
日本人の中で、日本の始まりを「一揆」に求める人がいるとは思えない。
農民戦争を“起点”とする発想はドイツ人らしい。
こういうデモは日本じゃ考えられない。
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