きょう1月30日は、1649年にイングランドの国王チャールズ1世が処刑された日。
1642年から、イングランドでは議会軍と国王軍の内戦がはじまり(清教徒革命)、これに勝利した議会側は王に死刑を宣告し、1649年のこの日、チャールズ1世の首が切り落とされた。
日本と英国には天皇と国王がいて、「君主」という共通点があるけれど、歴史的には、革命が起きて王が処刑されたという点で大きく違う。
日本の皇室は古代から途絶えたことがなく、ギネスに世界最古の王朝と認められた。
チャールズ1世の処刑には「続き」がある。
王政を廃止した後、やっぱりイングランドには国王が必要だということになり、1660年にチャールズ2世が即位し、王政復古が行われた。
すると価値観がひっくり返り、チャールズ1世を処刑したクロムウェルに対して、「王殺し」の罪で死刑が言い渡された。
といっても、そのとき彼はすでに死んでいる。
だから、英国紳士たちはクロムウェルの墓を暴き、遺体を掘り起こして、1661年の1月30日、王が処刑された日に彼の死体を処刑台に吊るし、斬首した。
日本でもこんな「死後処刑」が、江戸時代に大塩平八郎の乱の際に行われたことがあったが、とても少ない。
17世紀には、クロムウェルは反逆者や王殺しのイメージがあったため、徹底的に嫌われていた。
でも、そこがボトムラインで、18世紀に入ると彼は見直されて、19世紀には「クロムウェルは英国の英雄だ」と評価する人も現れた。
現代のイギリスでは、クロムウェルについて偉大な指導者だったか、残酷な独裁者であったか、評価は分かれている。
チャールズ1世の首を持つ処刑人
王はオノで首を切断された。
クロムウェルの死体が処刑された後、首は20年ほど晒(さら)された。
クロムウェルのような「反逆者」を日本史で探すと、それはやっぱり足利尊氏か。
1333年に後醍醐天皇が「建武の新政」をはじめたころ、鎌倉幕府を滅ぼした最大の功労者として、足利高氏は後醍醐天皇の名前「尊治」から一文字をもらい、「足利尊氏」へ改名した。
天皇の家来にとって、これは最高の名誉だ。
それにもかかわらず、その後、尊氏は後醍醐天皇に反旗を翻し、室町幕府を誕生させた。
江戸時代には主従関係が尊重されていたから、尊氏は「逆賊」として徹底的に嫌われた。
幕末には天皇を崇拝する人たちによって、等持院にあった尊氏(と義詮と義満)の木像の首が切断され、「正当な皇統たる南朝に対する逆賊」という罪状と一緒に三条河原に晒された。(足利三代木像梟首事件)。
それでも20世紀になると、足利尊氏が見直され、第二次世界大戦後には、「カリスマ性の高い将軍」、「日本文化の実質的な開創者の一人といっても過言ではない」と高く評価されるようになる。
21世紀の現在では、反逆者と英雄の2つの評価があると思う。
ということで、日本の足利尊氏と英国のクロムウェルはよく似ている。
2人とも「反逆者」として嫌われ、首を切断されて晒されたが、時代が変わると評価が上がっていった。
ただし、尊氏には「王殺し」という汚名が無い。
もし尊氏がそれを行っていたら、21世紀になっても許されていなかった予感がする。
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