きょう11月17日はイギリス(イングランド)で、1558年に女王メアリー1世が亡くなった日。
なのでとりあえず、R.I.P.(Rest in Peace)。
同時に、妹のエリザベス1世が即位してエリザベス朝が始まった。
この当時のイングランド国王にとって、最も重要な問題のひとつは「宗教をどう扱うか?」ってこと。
メアリーとエリザベスの父親であるヘンリー8世はいまの妻と離婚して、別の女性と結婚したいために、離婚を禁じるカトリック教会とは縁を切って、イギリス国教会という新しいキリスト教のグループをつくってしまう。
これで話がややこしくなる。
熱心なカトリック信者だった娘のメアリー1世は父王ヘンリー8世以来の路線を変更し、イングランドをカトリック中心の国に変えていくことにした。
それで彼女はプロテスタントを弾圧し、女性・子供も容赦なしで約300人を処刑したことから「ブラッディ・メアリー」 (Bloody Mary) と恐れられるようになる。
トマトジュースを使って作るカクテル「ブラッディ・マリー」はこの女王にちなんで命名された。
日本人は欧米人とは感覚が違うから、虐殺をイメージするようなこんな赤いカクテルはきっと作らない。
そんな“血まみれのメアリー”が亡くなって、次に女王になったエリザベス1世は姉の路線を変更する。
カトリック信者に配慮しつつも、イギリス国教会を重視する政策を行なっていき、イングランドの国教にした。
姉のように「汚物は消毒だー!」みたいな虐殺はしなかったが、エリザベス1世はカトリック信者を弾圧していく。
それ以降、イングランドではイギリス国教会が重視されていって、カトリック信者は、それだけの理由で殺される危険性のあるスリリングな生活を送っていた。
するとやがて、「もうガマンできん!」というカトリックのグループが登場。
彼らはジェームズ1世を爆殺して、カトリック教徒の国王を擁立しようとしたが、1605年11月5日に暗殺計画の犯人が捕まって失敗に終わる。
いまのイギリスで、その日は「ガイフォークス・ナイト」という花火デーになっている。
北畠親房(きたばたけ ちかふさ:1293年~1354年)
イギリスでは国王がプロテスタント(国教会)かカトリックを選ぶかで、国内が混乱して多くの血が流れた。
この点、日本はまったく違う。
長い日本の歴史のなかで、天皇が特定の宗教を支持して、それ以外の信者を弾圧するようなことはなかった。
後醍醐天皇に仕えた南朝の重臣・北畠親房は、「大日本国は神国なり」で始まる歴史書『神皇正統記』で、宗教に対する天皇の望ましい態度としてこう書く。
天皇としてはどの宗派についても大体のことは知っていて、いずれをもないがしろにしないことが国家の乱れを未然に防ぐみちである。菩薩・大士もそれぞれ異なる宗をつかさどっている。またわが国の神もそれぞれに守護する宗派がある。一つの宗派に志ある人が、他の宗派を非難したり低く見たりすることはたいへんな間違いである。
「神皇正統記 慈円 北畠親房 日本の名著9 (中央公論社)」
国の安定を優先し、天皇はどの宗教も平等に考えて、それぞれ同じぐらい尊重するべき。
天皇は伝統的に神道と仏教の両方を尊重していたし、日本史を通じて北畠親房の言うような立場をとっていと思う。
少なくとも、自分と違う信仰を持つ国民を殺しまくって、「血まみれ」と呼ばれた天皇は1人もいない。
メアリー1世やエリザベス1世のような英国王とは、宗教に対する態度はまったく違う。
仏教が伝来したころの時期を除けば、他の宗教を非難したり、低く見たりする天皇なんていなかった。
イギリスに比べれば宗教については、日本は平和で安定した国だったと言える。
日本にはない、キリスト教やユダヤ教の「神との契約」という考え方。
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