日韓はお隣同士で、昔から交流があり、漢字や儒教などさまざま文化を共有してきた。
でも、日本に住んでいた韓国人に言わせると、現代の日本人と韓国人では言葉に対する感覚が違うらしい。
昨年の9月、サッカーの試合で日本が強豪のドイツを4−1で撃破した。
このとき仕事で日本に来ていた韓国人がSNSで、この結果は韓国人の立場からすると驚くべきことで、とてもうらやましいと素直な感想を述べる。
でも、彼がいちばんビックリしたのは、日本のメディアがその快挙をとても“クール”に報じていたことだった。
もし、韓国代表が同じことをしたら、きっと新聞は誇らしげに勝利を伝え、テレビ番組は市民にインタビューをして、「韓国チームはとても素晴らしい」と称賛する報道を繰り返す。
しかし、彼が東京で会った日本人の中で、そのことを自慢気に話す人はなく、みんな、話を振られると「そうですね」と短く感想を言うだけだった。
この韓国人は、日本のメディアが冷静な報道をしていることに違和感を感じ、在日韓国人の知り合いに日韓のメディアの違いについて聞いてみた。
すると、その人は笑いながら、その違いについてこんな見解を述べる。
韓国のテレビは今でも、2018年に韓国がドイツに勝った試合を自慢気に取り上げている。
韓国メディアは国民の自尊心を刺激して、ある意味「うぬぼれた」報道をするけど、日本のテレビはそうじゃなく、スポーツの試合に勝っても負けても冷静な報道をしている。
韓国メディアの場合、特に相手が日本だと、「絶対に負けたくない」という強い潜在意識があるため、「日本サゲ、韓国アゲ」の報道が多い。
日本で生活している自分としては、両国の報道を見ていてると、韓国メディアはときどき「国民を扇動している」ように感じる。
日韓のメディア報道を比べると、日本のほうが控えめで、韓国では強い表現を使う傾向が確かにある。
いまカタールで行われているサッカーのアジアカップで、韓国代表は「格下」と思われていたマレーシアを相手に、後半ロスタイムで同点弾を浴びて、3-3の引き分けに終わった。
日本のメディアはそれを、「大波乱」「悪夢の3失点」「まさかのドロー」「痛恨の被弾」と伝えた一方で、韓国メディアは「大恥をかいた」「最悪にして巨大な惨劇」「あり得ない大惨事だ」「恥辱以外の何物でもない」とかなり感情的な表現を使った。
逆に、日本が「格下」と思われていたイラクに負けた時、日本メディアは「負けるべくして負けた」「日本の首位突破は消滅」と伝えたが、韓国メディアは「恥さらし」や「全て偽物」といった言葉を使った。
日本のメディアがそれを見て、韓国側は辛辣(しんらつ)な表現を並べ、日本の敗戦をあおったと伝える。
日本から見ると、どうしても温度差がある。
知人の韓国人は日本語がペラペラで、日本の会社で働いていた。
日本や日韓関係に関心のある彼が日本の報道を見ていると、日韓のメディアには表現で大きな違いがあって、それは国民性に由来していると感じたと話す。
韓国語はストレートで刺激的な表現を使うことが多く、日本のメディアは客観的であいまいな言葉が多い。
日本では、スポーツ新聞やネットメディアはかなり「盛った」表現を使うけど、全国紙は落ち着いて正確な言葉を使う。
しかし、韓国では全国紙でもかなり大げさな表現をする。
昨日の朝鮮日報のこんな記事の見出しを見ると、その指摘は確かに正しいと思う。(2024/02/03)
米エミー賞受賞の韓国系米国人イ・ソンジン監督「今や韓国人の観点が世界人の観点になった」
「韓国人=世界人」という表現は、韓国の読者の自尊心を満たすけれど、客観的にどこまで正確かは不明。
世界に広がる韓国文化も自慢のタネ。
上の記事と同じ日、ハンギョレ新聞はこんな寄稿を掲載した。(2024-02-03)
[寄稿]韓流から読みとる多文化の力
「大韓民国はもはや経済大国であるだけでなく文化強国だ」
「韓国の先進的なサイバー流行が全世界に広がっている」
「(いまの韓国は)中国より儒教的であり、インドより仏教的であり、米国よりキリスト教的な国だ」
日本の全国紙がこういう力強い表現を使うと、きっと読者は引いてしまう。
韓国メディアはこんな言葉も好物だ。
中央日報の記事(2021.03.24)
サムスンの5G装備が「日本席巻」…業界トップのNTTドコモに供給
韓国メディアは、ガールズグループや韓流ドラマが日本やアメリカを「席巻した」とよく書く。
これはハンギョレ新聞の記事。(2022-06-21)
世界を席巻した「Kクラシック突風」…その裏には韓国の英才教育システムが
中央日報のこの記事は、「日本下げ、韓国上げ」の典型だと思う。(2021.12.18)
「東京よりソウル」…日本を抜いた「高級韓国」 100年以上続くのか
「100年以上続くかの?」という前に、現時点で、本当にブランドイメージで韓国が日本を抜いて、世界で「高級」と認識されているのだろうか?
知人の韓国人に話を戻そう。
彼が韓国にいたころは、こうした表現に違和感を感じたことはなかった。
でも、日本語を学び、日本のメディアの報道を見たり、日本人と交流したりするうちに、謙遜を美徳をする日本的な感覚が身についてきた。
すると、韓国メディアの報道は大げさで、「自画自賛」しているように感じるようになったという。
韓国のスターが欧米でコンサートを開催して、たくさんの人が集まると、韓国メディアは「韓国トップスターの○○がアメリカ(ヨーロッパ)を占領」といった見出しを付けて報じる。
欧米人が「占領」という言葉を見たら、どんな気持ちになるか考えると不安になる。
同じ現象でも、日本のメディアならきっとこんな表現は使わない。
しかし、メディアにとって重要なのは読者に記事を読んでもらうこと。
そのためには、「東京よりソウル」「日本を抜いた」「日本(や世界)を席巻(占領)した」といった勢いのあるワードは有効だ。
日本のメディアが使っているような控えめな言葉だと、韓国人にはつまらなく、魅力を感じない。
日韓では感性が違うから、日本のメディアが韓国と同じような報道をすれば、読者に「やり過ぎ」「煽っている」と批判を受けそうだ。
ということで、日韓のメディアを比較した彼の結論。
韓国メディアはストレートで刺激的な表現、日本メディアは客観的で落ち着いた表現を使うことが多いが、それは良い悪いの問題ではなく、国民性や文化の違いによるもの。
どっちの国でも、国民感情に合わないメディアは淘汰される。
日本人と韓国人に感性の違いがあることは仕方ない。
ただ、日本メディアの表現がそのまま韓国語に翻訳されて、韓国に伝えられてもあまり問題は起こらないけど、その逆の場合、韓国語の言葉は日本人にはきついから、不快に感じさせる予感がする。
日本にいる韓国人としては気になるところだけど、個人にはどうすることもできないから、もう知らない。
日本に住む韓国人の嘆き ニュアンスの違いから生まれる“誤解”
韓国のマスコミばかり見ていた人が日本のマスコミの報道を見ると、ある意味「面白さ」がありません。
韓国のメディアは「事実」の報道よりも記者個人の意見を強調していますので、記事は多分に「感性的」です。 しかし、日本のマスコミの報道は「事実」だけなので、味気ないですよね。 しかし、メディアの役割をはっきり知っている人なら、メディアは「面白さ」を追求するのではなく、「事実」を忠実に報道し、読者に正しい判断をさせるということを知っているはずです。
そういう意味で韓国のマスコミはちょっと大げさに言うとマスコミではなく扇動機関で、記者たちは随筆家や小説家です。
わたしが韓国メディアの報道を見ると、刺激的で強すぎると思います。
韓国人が日本のメディアを見たら、味気ないでしょうね。
韓国では、記者が個性を発揮する範囲が広いと思います。だから、わりと自由な表現にできる。