日本には昭和の時代まで、「丙午(ひのえうま)の年に生まれた女性と結婚した夫は早死にする」という迷信があって、そのせいで自殺した女性もいた。
現在でも、これを信じている人がいるかもしれない。
日本人と迷信:八百屋お七・丙午生まれの女性が”嫌われた”ワケ
いまの中国でも同じような迷信が広がっていて、それを信じる若者が続出していることから、当局が取り締まりに乗り出した。
朝鮮日報の記事(2024/2/10)
今年結婚したら夫が早死にする? 「未亡人の年」の迷信を信じる中国の若者たち
二十四節気の「立春」が旧正月よりも早い年は、中国で「未亡人の年」と言われているらしい。
今年は2月4日の立春の後に旧正月(2月10日)を迎え、来年は旧正月(1月29日)より後に立春がやってくる。
つまり、陰暦で考えると今年は立春がないから、「春のない年」になる。
中国ではそんな「未亡人の年」に結婚すると、不幸になるという迷信が広がっていて、若者を不安にさせている。
それで、中国中央テレビ(CCTV)が「春のない年」と不運には何の関係もないと強調し、国民の動揺を沈静化しようとした。
そんな迷信には、縁起かつぎで対抗する動きもある。
今年は「青龍の年」で、中国文化では、この年に生まれた子どもは成功すると信じられているから、これで「未亡人の年」の迷信に打ち勝つことができるという主張も出ている。
「青龍 VS 未亡人」とか、一体どんな対決だよ。
さて、中国の若者たちが信じた迷信には「マンゴー崇拝」というものもあって、こっちは本当にシャレにならなかった。
「マンゴーの崇拝」のスローガン(1968年)
北京の天安門広場へ行くと、「中国建国の父」と言われる毛沢東の大きな肖像画がある。
彼が主導した「大躍進政策」が結局は失敗に終わると、彼の権威は大きく失墜してしまう。
それでも毛沢東は権力の奪回をめざし、1966年から若者たちを扇動して文化大革命を開始した。
彼らは「紅衛兵(こうえいへい)」として毛沢東だけを信じ、ほかのすべての権威、教師や神などを否定する。
天安門広場を埋めつくす紅衛兵(1966年)
1968年に、友好国のパキスタンから毛沢東へマンゴーが贈られたことで、あの不思議な現象が巻き起こる。
毛沢東はマンゴーを北京の工場へ一つずつ分け与えると、労働者たちは偉大なる毛首席に敬意を表し、マンゴーを祭壇に乗せて毎日それに向かって頭を下げた。
マンゴーを「ご神体」のように崇(あが)め、ホルマリンを使って防腐処理をしたケースもある。
当時、特に中国北部では、熱帯植物のマンゴーを知らない人も多かったことから、マンゴーを中国神話に出てくる「不死の果実」と同一視する動きが出てきた。
これによって「マンゴー崇拝」はさらに広がり、深まっていく。
やがて、マンゴーが毛沢東そのものと見なされ、『人民日報』には「金色のマンゴー」と題する詩のような文章が掲載された。
「あの金色のマンゴーにまみえると
偉大な指導者毛主席にまみえたかのよう
あの金色のマンゴーの前に立つと
毛主席のおそばに立ったかのよう」
当然、こんなムーブについていけない人もいる。
しかし、社会が狂っていたから、「マンゴー崇拝」を拒否した(まともな)人間は「反革命分子」のレッテルを貼られ、厳しく罰せられた。
ある歯科医はマンゴーについて「サツマイモのような見てくれで、見る価値はない」と言ったことが“罪”とされ、逮捕・投獄され、死刑判決をうけた。
彼は市中を引き回された後に銃殺された。
「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」と言い残したかは知らない。
毛沢東が亡くなると、こんな迷信も勢いを失った。
日本人が「丙午の迷信」を信じなくなったきっかけは、紀子さまが1966年の丙午の年にお生まれになったことにある。
これが広く知られるようになると、迷信はすたれていった。
では、中国はどうやって「未亡人の年」の迷信を打ち破るのか?
見せてもらおうか、中国当局の手腕とやらを。
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