日本人と迷信:八百屋お七・丙午生まれの女性が”嫌われた”ワケ

 

きょう3月29日は「八百屋お七の日」。

お七(しち)とは17世紀の江戸で八百屋をしていた家の娘で、彼女が17歳だった1683年のこの日に処刑された。
それも残酷な方法で。

その前年、1682年に起きた火災(天和の大火)のときお寺へ避難したお七は,そこでイケメンと出会って恋仲になる。
でも家が再建されとそんな甘い生活も終わった。
また元の場所での生活がはじまったものの、彼への思いは募るばかり。
それで「火事になれば、また彼と会えるに違いなしっ!」と考えたお七は自分の家に火をつけた。
当時の日本で放火は大罪で、お七は市中引き回しの屈辱を与えられたあと、「火には火を」で火あぶりにされた。
そんな恋に狂ったお七の命日が3月29日だったことから、この日は「八百屋お七の日」になっている。

ただこの話はきっとかなり”盛られている”。
というのは、信頼できる歴史史料『御当代記』には「お七という名前の娘が放火し処刑された」と書いてあるだけで、それ以外の話は後世の作家が想像したものだから。

このときの日本では、17歳以下なら死刑はされないことになっていたから、奉行が「おまえは17だろう」と言ってくれたにもかかわらず、その配慮に気づかなかったお七は「18です」と答えてしまい、処刑されたという話もある。
今も昔も日本の社会で空気を読むのはマジ大事。

 

八百屋お七

お七が処刑された鈴ヶ森刑場(東京・品川区)にはいまでも、火あぶりの処刑で使われた礎石が残っている。

 

さて、日本人はかなり迷信深いらしい。
”マヌカン”だと客を「まぬかん(=招かない)」で縁起が悪いからと、「招き猫のように聞こえるから、”マネキン”にしよう!」と考えて命名したというほど縁起を気にする。

きょねん知人のアメリカ人は、江戸時代の疫病封じ「アマビエ」が再発見されて日本で大流行したのを見て驚いていた。
もちろんそれは日本の文化で悪いことではないし、これでいろんなグッズを考えだす日本人の商魂に彼は感心する。

 

 

「丙午(ひのえうま)の迷信」をご存じだろうか。
これは”呪い”と言っていい。

干支の丙午にあたる年に生まれた女性は気性が激しくて、夫が早死にするというバカげた迷信が昔あった。
(いまも信じている人がいるかもしれない)

お七が1666年の丙午に生まれたことから「丙午の年には火災が多い」というウワサが江戸時代に広がり、それが上の迷信につながったという。
それで丙午の女性は嫌われ、その年に女の子を生むことが避けられるようになった。

実際、1906(明治39)年の丙午では、出生率が前年より約4%減少する。
大正時代になると、1906年の丙午に生まれた女性がそれを理由に縁談を破談にされ、自殺したという報道があった。
この時代になると日本政府も社会に流布する迷信をなくそうと本格的に考えて、人相、家相、鬼門、方位、九星、ほかに縁起や六曜日柄等にかかわる悪いことも信じてはいけないと教科書で教えるようになった。

でも、戦後もこれを信じる人はまだ多くいて、昭和41年(1966年)の出生率は前年に比べて25%も低下。

くわしいことはここをクリック。

1965年11月に、山形市で、法務省山形地方法務局が主催となった「ひのえうま追放運動」が展開され、同月21日には市内パレードで啓発を呼びかけた。

丙午生まれの迷信

1950年から2008年までの日本の出生率のデータを見ると(赤)、丙午の年に当たる1966年の出生率がガクンと低くなっている。

 

江戸時代の八百屋お七に端を発し、自殺という悲劇や日本社会に大きな影響を与えた「丙午の呪い」。
このバカげた迷信は、紀子さま(文仁親王妃紀子さま)が1966年の丙午にお生まれになったことが知られるようになってから、かなり減ったと思う。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。