【破門】ヨーロッパにあって、日本の歴史に無かったもの

 

ヨーロッパの歴史にあって、日本には無かったもの。
その一つが「破門」だ。

中世ヨーロッパのキリスト教世界では、ローマ教皇から破門されると、その人は周囲との交流が絶たれてしまうから、ときには絶対無比の効果があった。
たとえば、1076年に教皇が神聖ローマ皇帝を破門すると、キリスト教徒だった諸侯たちはすぐに皇帝を見捨てた。
臣下のいない皇帝なんて、スープと具材の無いラーメンと同じで存在の意味がない。
皇帝は完全な降伏を受け入れ、教皇のいる城まで出向くと、雪の降る中、素足で3日間祈り続けた。
そうして、ようやく破門を解除してもらった。

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この後、1207年にイングランドのジョン王もローマ教皇インノケンティウス3世から破門をくらった。
このときも、結局は王がひざまずいた。
ジョン王は教皇の臣下であることを認め、イングランドとアイルランドを教皇に寄進する。
さらに、毎年巨額の金をカトリック教会へ支払うことを約束し、やっと破門を解いてもらった。
このインケン(インノケンティウス3世)は、教皇権が一番パワフリャーな時代の教皇で、「教皇は太陽。皇帝は月」と豪語したことでも知られる。
勝てない相手にケンカを売ったジョン王の判断ミス。

 

一方、日本の歴史には、皇帝や王を屈服させたような「破門」なんて強力なモノはなかった。
もちろん、破門という言葉はあって、武道・相撲界・歌舞伎などの分野で行われた事例がある。
いまの日本人が「破門」と聞いたら、ヤクザを連想するかもしれない。
結局、どの破門も日本史レベルで重要なものではないのだ。
ちなみに、破門と絶縁では意味が違う。
破門なら、まだ復縁の可能性があるけれど、絶縁されたらそれは無理(少なくとも言葉のうえでは)。

仏教界、特に浄土真宗では、ヨーロッパの破門に似た考え方があって、それを「異安心」という。
浄土真宗の正統派から見て、間違った考え方(教義)を持っている人たちを「異安心」と見なし、組織から追放した。
15世紀以降、そんな例が何度かあったけれど、日本の歴史を動かすほど大きな影響を与えることはなかった。
関係者にとっては重大な出来事でも、日本史全体ではコップの中の嵐でしかない。
だから、中学校の歴史の授業で「異安心」について学ぶことはないし、そんなワードを知ってる人は歴史や宗教に関心のある限られた人だけ。

 

教皇が皇帝や王に破門を宣言したら、諸侯たちが皇帝の言うことを聞かなくなり、統治不能におちいる。
日本の歴史には、そんな破壊力のあるモノは存在しなかったけれど、似たようなものならあった。
たとえば、以仁王(もちひとおう)の令旨だ。

平安時代の1180年、後白河天皇の子(第三皇子)だった以仁王が、

「令旨をもって命じる。平家を討て!」

と、平家打倒の命令(令旨)を出し、武士たちに挙兵を呼びかけた。
これは結果的には失敗に終わったが、各地の武士が平家打倒に立ち上がり、治承・寿永(じしょう・じゅえい)の乱が始まった。
源頼朝も、以仁王の令旨を受け取った武士のひとり。
これで、本格的に源平合戦(治承・寿永の乱)がスタートし、最終的には平家一族がこの世から消し去られた。

歴史の「タラレバ定食」にはキリはない。
だけど、もし平家が以仁王との対決を選ばずに、破門された神聖ローマ皇帝みたいに「完全屈服」を示していたら?
以仁王の住居まで出向き、門の前で三日三晩、土下座を続け、以仁王の許を得て令旨が撤回されていたら、きっと平家の滅亡は避けられた。

しかし、こうして天下を取った頼朝が開いた鎌倉幕府にも、1221年に特大ピンチがやってくる。
今度は後鳥羽上皇から、

「全国の武士に命じる。執権、北条義時を討て!」

という命令が出され、「承久の乱」がはじまった。
鎌倉の武士たちは、直接的には幕府に仕えていたけれど、間接的には朝廷の家来になる。
しかも、身分的には「将軍&執権 < 越えられない壁 < 天皇」という現実があった。
動揺する御家人たちを前にして、北条政子が「幕府への恩は山より高く、海より深い」と情に訴える。そして、逆臣どもが間違った命令を出させたのだ。天皇のまわりにいる悪者どもを討ってしまえ! と呼びかけた。
武士たちはこれを聞いて涙を流し、幕府とともに戦う決意を固めた。
…とよく言われているが、実際には、どっちが勝つ可能性が高いか? どっちについた方が“おいしい”か? といった損得を計算したうえで、御家人たちは鎌倉幕府に味方したらしい。
この承久の乱は幕府側の勝利に終わり、後鳥羽上皇は隠岐島(おきのしま)へ流された。

 

日本にあった破門は、ヨーロッパのものと比べると影響やスケールが違いすぎ。
結局のところ、日本には、「教皇は太陽。皇帝は月」と言ったローマ教皇のようなスーパーパワーを持った人物は存在しなかったことになる。

 

 

ヨーロッパ 目次

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。