「いろいろ親切にしてくれてありがとう。みんなに感謝している。そしてこれが最後のコーヒーだ。」
2024年の3月19日、知人のイラン人がSNSでこんなメッセージを投稿した。
これだけを読むと、
「ちょっと待て! たしかに人生はつらいけど、捨てたものでもない。生きていればまた良いことがあるさ!」
とか言いたくなるのだけど、じつはこの文章には最初に「今年一年」というワードがあった。
イランの伝統的な暦では、今年は3月20日が「ノウルーズ(新しい日)」という元旦になって、新しい一年がはじまるのだ。
だから、上のメッセージは日本風に言うなら、「今年一年、みなさんにはお世話になりました」という年末のあいさつになる。
そして、彼はその年で最後のコーヒーを飲みながら、一年を振り返ったらしい。
なんでイランでは、この時期に新年がスタートするのか?
それはこのころ、昼と夜の長さがほぼ同じになるから、古代イランの人たちはそれを一年の境と考えたらしい。
そう言われてみると、一年の区切りとしては合理的な気がする。
イランの新年「ノウルーズ」はゾロアスター教の祭りに由来し、1400年ほどの歴史がある。
ノウルーズの起源はさらに古く、2000年以上前と考えられている。
清水寺の西門
ここでは昔、西に沈む夕日を見て、極楽浄土をイメージする「日想観」が行われていた。
イランで新年がはじまるころ、日本では「春分の日」を迎える。
この時期は春の彼岸として、日本人はよくお墓参りをする。
1年のうちで、昼と夜との長さがほぼ同じになる春分と秋分には、太陽が真東から昇り、真西に沈む。
ご先祖たちはそんな自然(天体?)現象に特別な「ナニか」を感じ、西に沈む太陽に向かって祈り、はるか西方にある極楽浄土を想った。
それが現代の仏教行事の「お彼岸(墓参り)」になったとされている。
日本では806年に、初めて彼岸(会)が行われた。
早良親王の怨念を鎮めるため、朝廷が全国の僧侶に毎年春分と秋分に約7日間、お経(金剛般若波羅蜜経)を読むことを命じた。
こうして日本に彼岸(会)が定着していく。
もともと怨念を鎮めるためという、いわば「御霊信仰」の考え方ではじまったから、「春のお彼岸」は中国や韓国にはない。
これは日本オリジナルの伝統だ。
古代のイラン人と日本人は現代の一般人よりも、自然を身近に感じていたから、昼と夜の長さが同じになる春分を特別視し、イランでは新年のお祝い、日本では読経やお墓参りなどの仏教行事をはじめたのだろう。
ということで、この時期に、イラン人がSNSで「みんなありがとう」とメッセージをしたとしても、それは遺言ではないから、イラン心配はしないように。
春のお彼岸で、彼の冥福を祈る必要もない。
おまけ
上川外務大臣がノウルーズを祝う人たちに対し、こんなメッセージを出した。
「ノウルーズを祝う日本国内及び世界中の方々に対し、心からお祝いを申し上げます。
本日は、日本においても、『春分の日』として、自然をたたえ、生き物をいつくしむ祝日となっており、暖かい春の到来とともに、日本全国各地で桜をはじめとする花々を楽しむ季節です。」
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