「今日はお正月だー イヤッホーーイ!」とみんなが喜んでいるころ、
「正月や 冥途(めいど)の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
と、髑髏(ドクロ)を手に持ちながら、京都の街を歩いたお坊さんがいたという。
「一休さん」として有名な室町時代の僧、一休宗純(そうじゅん)にはそんな話が伝わっている。
彼は、めでたい雰囲気をぶち壊すという意味での破壊僧だ。
でもまぁ、人が生きているというのは、死に近づいているということでもある。
年が新しくなるというのはめでたいことだけど、また一歩、最期の瞬間に近づいたということも事実。
彼は喜びと悲しみは表裏一体であるとか、世の無常を説きたかったと思われる。
一休宗純(1394年 – 1481年)
一休さんには、阿弥陀如来の像を枕にして昼寝をしたという話もあって、僧としてはかなりぶっ飛んでいる。
一休は「さぁ、お前の大嫌いな死がすぐそこまで来たぞ」みたいな不吉なことを言う。
しかし、いまの自分と死までの距離は見えないが、日々、そこへ向かっていることは間違いない。
そして、いつかお葬式をするのではなく、される側になる。
700年の4月3日、仏教僧の道昭が日本で初めて火葬された。
彼は日本初の元号「大化」の次の白雉(はくち:650年〜654年)の時代に、遣唐使として長安へ行き、三蔵法師(玄奘三蔵)を師匠として仏教を学ぶ。
帰国後、彼は多くの日本人に仏教を伝えた。
道照が72歳になったある日、彼のいる部屋から「香気」が漂ってくる。あやしんだ弟子たちが見に行くと、彼は座ったまま絶命していた。
遺言にしたがって遺体を燃やしたことで、『続日本紀』には「天下の火葬は之より始まれり」と記されている。
その後、弟子たちが骨を集めようとすると、突然つむじ風が起こり、灰も骨もどこかへ飛ばされたという。
これは記録に残る「日本初」で、縄文・弥生時代の遺跡から火葬された骨が見つかっている。
日本で初めて火葬されたのはいつかは、誰にも分からない。
古墳時代になると、日本では(王や貴族などの上級国民限定だが)、遺体を地面に埋め、そこにでっかい墳墓が造られるようになる。
次の飛鳥時代、「大化の改新」と呼ばれる改革の一つとして、646年に「もう大きなお墓を建てるのはやめましょー」という薄葬令が出されると、前方後円墳は造られなくなり、古墳時代は終わりを迎えた。
707年に亡くなった文武天皇のために、八角墓が造られたのが最後の古墳とされる。
薄葬令が出された大化の改新のころ、日本では仏教の受容が進んでいき、土葬から火葬へと切り替わっていく。
その流れで、700年に道昭が「日本初」となり、702年に亡くなった持統天皇もそれに続き、天皇として初めて火葬された。
こうして日本に火葬が定着していった。が、土葬も行われていて、庶民が火葬をするようになったのは、幕末・明治初期になってから。
4月になって、さまざまな人が新しい生活をはじめる。
そんなタイミングでこんな話をするのは、めでたくもあり、めでたくもなし。
ちなみに、火葬することを「荼毘(だび)に付す」とも言う。
日本の歴史では仏教と火葬がセットになっていて、荼毘とは、古いインドの言葉で「燃やす」を意味する「ジャーペーティ」に由来するらしい。
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