THE・多様性 シンガポールの「プラナカン文化」って?

 

江戸時代、オランダと中国貿易の拠点だった長崎は、日本では例外的な国際都市だった。
そんな独特な歴史を背景に、現在の長崎には多様性にあふれた「わからん」文化がある。

国際性と多様性がギュッ 長崎の「わからん(和華蘭)」文化

今回はこの記事のスピンオフで、シンガポールの「プラナカン文化」を紹介しよう。
長崎とシンガポールはわりと似ている。
地理的にはどっちも港町で昔から貿易が盛んに行われ、さまざまな外国文化が入ってきたから、国際色豊かな都市となった。
そんな地理的・歴史的な要因から生まれた長崎の多様性の象徴が「わからん」文化、シンガポールでは「プラナカン」文化になる。

 

シンガポールのモスク(イスラム礼拝所)

 

仏教寺院

 

門番をしているシク教徒のインド人

 

シンガポールはマレー半島の先っちょにある。
面積は東京 23区よりやや大きい程度で、国としてはかなり小さいから首都は存在しない。
長崎市には多様性があると言ってもそれは日本レベルの話で、シンガポールの多様性は世界レベルで次元が違う。
たとえばシンガポールには、英語・中国語・マレー語・タミル語の4つの公用語があるのだ。

人種構成を見ると、中華系が 74%と最大で、マレー系(14%)、インド系(9%)と続き、そのほかにもアラブ系やヨーロッパ系の住民もいる。
歴史的には、この地にはマレー系の人たちがいて、後から来た異民族との間で結婚が行われ、それぞれの血を受け継ぐ子どもたちが生まれた。
それがプラナカンと呼ばれる人たち。
*プラナカンとは「ここで生まれた子」の意。

 

ここは(きっと)プラナカンの家
イスが中国文化っぽい。

 

日本語版と英語版のウィキペディアでは、プラナカンの説明が微妙に違う。こういった海外事情については英語版の方が信頼できると思うので、ここでは主にそちら(Peranakan Chinese)を参考にすることにした。

14世紀から17世紀にかけて、中国から大量の移民がマレー半島にやってくると、彼らは現地のマレー系の人たちと結婚して家庭を築き、子孫を増やしていった。
インド人やアラブ人とマレー人の混血もプラナカンと呼ばれるが、現在のシンガポールやマレーシアでプラナカンといえば一般的には中国系移民の子孫を指す。

プラナカンには、ババ(男性)とニョニャ(女性)を合わせた「ババ・ニョニャ」という呼び方もある。
プラナカンの男性はババ、女性はニョニャだから、ババ・ニョニャとプラナカンは同じ意味だ。
「ババ」は、ヒンディー語に由来する言葉とされる。これは男性に対する敬称だから、日本語では「〜さん、〜様」といった意味になる。ちなみに、インドにいたサイ・ババの「ババ」と同じだ。
「ニョニャ」は古いポルトガル語に由来する女性に対する敬称だから、日本語だとやっぱり「〜さん、〜様」といった意味だろう。

マレー文化と中華文化がミックスされたプラナカン(ババ・ニョニャ)文化の例には、中国料理の食材に、カレー粉やココナッツミルクなどで味付けをした料理がある。
シンガポールやマレーシアに行くと、ほかにも服や履物、飾りなどさまざまなプラナカン文化を見ることができる。
混血が進み異文化が一体化しているという点で、長崎の「わからん(和華蘭)」文化とは大きく違う。

 

シンガポールによくある「ショップハウス」
1階が店で2階以上は住居になっているこの建物もプラナカン文化のひとつ。

 

 

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1 個のコメント

  • > 14世紀から17世紀にかけて、中国から大量の移民がマレー半島にやってくると、彼らは現地のマレー系の人たちと結婚して家庭を築き、子孫を増やしていった。

    この記述には大事な情報が欠けています。中国からやって来た大量の移民はほとんど「男性」であり、中国本土から女性を連れて来れなかったからこそ、現地のマレー系の「女性」と結婚して家庭を築いたのです。
    当然ながら、当時の中国人男性は「中国伝統民族教徒」(←簡潔な説明が難しい)であり、マレー系女性は「ムスリム」または「ムスリム的土着宗教徒」です。
    私が知る限り、「プラナカン」とは、父親もしくは祖父が中国系である「カレーを両手素手を使って食べる人たち(男でも女でも)」だったと思います。ムスリムの人はカレーを素手で食べるけど、その時に決して左手は使いません。シンガポールでもマレーシアでもそれは同じです。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。