きょう5月10日は、1857年に「インド大反乱」が起こった日。
当時、インドはイギリス(東インド会社)に支配され、イギリスは現地でセポイ(スィパーヒー)と呼ばれるインド兵を雇っていた。
彼らが大英帝国に反旗を翻したことから、セポイの反乱とも呼ばれている。
この抵抗運動とその結果は、日本と韓国の近代史とよく似ているのだ。
これからそれを見ていこう。
セポイ
「もう無理っ、これ以上耐えられない!」
とセポイ(インド兵)たちがイギリスにキレて、反乱を起こした理由には、
・物価の上昇に比べ、給料が安くて生活が苦しかった。
・多くのセポイの出身国であるアワドがイギリスによって滅亡した。
などの要因があった。
インドの民衆もイギリスに大きな不満を持っていたから、セポイに合流し、大規模な反乱となる。
ただ、広大なインドにはさまざまな立場の人がいて、一つにまとまることが難しい。
この反乱に対し、どちらもつかず中立的に様子を見守っていた勢力があれば、イギリスの味方になり、インドの反乱軍と戦った勢力もあった。
インドの民衆もイギリスに大きな不満を持っていたから、セポイに合流し、大規模な反乱となりました。
最終的にはイギリス軍が乱を鎮圧し、ムガール帝国を滅亡させた。
そして、東インド会社を解散させた後、女王ヴィクトリアが直接インドを統治することになり、イギリス領インド帝国が成立した。
以上は主にイギリス側の見方で、インドの視点では反対になる。
現在のインドでは「大反乱」ではなく、「第一次インド独立戦争」と呼ばれ、愛国心から生まれた偉大な抵抗運動と考えられている。
イギリスは巨悪で、それに立ち向かったセポイたちは国民的英雄だから、インド政府は2007年に「インド第一次独立戦争」の 150 周年を祝った。
最後のムガール皇帝バハードゥル・シャー2世
イギリス軍に捕えられ、「あれはマズったー」と大後悔をしている。しらんけど。
日本は朝鮮半島をめぐってロシアと戦い、それに勝利すると、1905年に第二次日韓協約によって韓国を保護国とした。
その後、日本が韓国を併合することが既定路線となっていくが、そのタイミングは訪れない。
しかし、1909年の10月26日、清(中国)のハルビンで、安重根が伊藤博文を暗殺するという驚天動地の事件が起こると状況は一変。
インド大反乱でインド内でもさまざまな立場があったように、この事件についても韓国内の反応は分かれた。
伊藤博文が亡くなったと知り、「よくやった!」と安をたたえる民衆がいた一方、大韓帝国の皇室では、前皇帝の高宗が伊藤博文を「韓国の慈父」と哀悼の意を示し、皇帝・純宗は安を「兇徒」と表現した。
この事件を受け、日韓併合が加速し、翌年1910年にそれが実現したという指摘がよくされる。
実際、韓国最大の政治結社・一進会は純宗や首相の李完用に「韓日合邦を要求する声明書」を送り、圧力をかけた。
この動きに対して、日本国内の反応も分かれた。
一進会と行動をともにしていた内田良平は「最も合邦を歓迎すべきはずの日本人の側から、驚くべき反対非難の声が一斉に上がったのだ」とショックを受けている。
ということで、今回のまとめ
インド兵が大反乱によってイギリスに打撃を与えた結果、ムガール帝国は滅亡し、イギリスの本格的な支配がはじまった。
東アジアでは、安重根が伊藤博文を暗殺したことがきっかけで、大韓帝国が日本に併合され、地上から消滅した。
どっちも原因と結果がよく似ている。
現代のインド人がセポイをヒーローと見ているように、韓国人も安重根を英雄と考えている。
そして、イギリス側から見れば反乱でも、あれはインドでは独立戦争だ。
同じように、安重根のしたことは韓国では「義挙」と称賛され、110周年となる2019年には記念式典が行われた。しかし、日本では「テロ行為」と非難されている。
同じ出来事でも、立場によって善と悪、正義と不正がひっくり返るところは、英印・日韓はソックリ。
違いがあるとすれば、インドとイギリスとは違って、日韓では現在でもこの時代の歴史について対立や政治問題があるところだ。
処刑されるセポイ
安重根も絞首刑でこの世を去った。
> 一進会と行動をともにしていた内田良平は「最も合邦を歓迎すべきはずの日本人の側から、驚くべき反対非難の声が一斉に上がったのだ」とショックを受けている。
日本人の側からもそのような反対非難の声が上がった理由の一つとして、初代韓国統監であった伊藤博文自身が、併合反対派であったことが上げられます。
安重根のこの行動は、結果的に、大日本帝国による大韓帝国の併合への道筋を加速させただけだったと思います。だからこそ伊藤博文も死ぬ間際に「馬鹿め・・・」と呟いたのでしょう。
ただし、そうであったとしても、この安重根の行動を「韓国独立を目指す象徴的な第一歩」とみなす韓国人にとってみれば、安重根と伊藤博文に対する評価は今後も変わることはないでしょうけど。
実際の伊藤博文の言葉を知ると、彼は決して「嫌韓」ではないと分かります。
でも、いまの韓国でもうそれは通じないでしょうね。