きょう6月22日は、インドでチャカペル兄弟がイギリス植民地支配に一矢を報いた日か。
なるほどなるほど。
日本でいえば日清戦争に勝利して台湾を併合したころ、イギリスの植民地だったインドのプネーでペストが流行して、イギリスは軍隊を動員してその対策にあたることにした。
派遣された軍人は現地で、真夜中に民家へ侵入して感染者を連れ出す、貴重品を奪う、女性を裸にして検査する、市民の移動を禁止する、宗教のシンボルを破壊するといった略奪や暴行、女性や宗教に対する侮辱行為をおこなう。
日本人よ、これが紳士の国の「ペスト対策」だ。
といっても上からは、現地の宗教感情などに配慮して行動するよう通達がでていたらしい。
これに怒った3人のチャカペル兄弟が1897年6月22日、責任者だった役人のランドとその護衛の2人のイギリス人を射殺。
*護衛はその場で、ランドは大けがを負ってその後死亡した。
気持ちとしては正義を断行した首謀者の3人も、イギリス植民地政府の役人を殺害するテロ行為をおこなったのだから、自分たちが死刑になることは覚悟していたはず。
でもさらに、情報提供などをしたインド人の成人も処刑されて、当時小学生だった子どもも懲役10年の厳刑に処されることまでは想像できなかったのでは。
All three brothers were found guilty and hanged, an accomplice was dealt with similarly, and another, then a schoolboy, was sentenced to ten years’ rigorous imprisonment.
「私たちに逆らうことは許さない。たとえ小学生でも!」という考え方はイギリスだけではなかったはず。
チャカペル・ブラザーズの1人
イギリス側からみれば卑劣なテロリストでも、現代のインドでチャカペル兄弟は独立運動の最初の犠牲者とされていて、革命家として高く評価されている。
となると兄弟の生涯が映画化されるのは必然。
コメント欄はインド人からの称賛の声であふれている。
「Must watch every Indian..(全インド人が見るべき)」
「amazing…. hats off.(素晴らしい…脱帽するよ)」
「the best hero(最高のヒーローだ)」
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