イギリスに支配されていた19世紀のインドで、植民地政府の役人を射殺したチャカペル兄弟はインドのヒーローとなった。
なんて話を前回書いたのですよ。
「英雄」というのはインドの見方であって、イギリスにとっては「テロリスト」でしかないから、裁判にかけて処刑するのは当時としては当然のこと。
21世紀のいまでは、非暴力主義のガンディーはイギリスでも偉人になっている。でも、要人の暗殺という暴力的な方法で植民地支配に対抗した、チャカペル兄弟のような人物はテロリストという認識だろう。
「彼はイギリスにとってもヒーローだ!」というイギリス人がいたらその理由をぜひ聞きたい。
さて、チャカペル兄弟で思い出したのが安重根だ。
韓国の植民地化を決定づけた「元凶」として、1909年に伊藤博文を射殺した安は、韓国では愛国者や独立運動家として、これ以上なく高く評価されている。
時代、動機、やり方をみるとチャカペル兄弟とソックリだ。
韓国で「あなたが尊敬する歴史上の人物は?」というアンケート調査をしたら、安重根は1位か、少なくとも上位3位には入るはず。
韓国人にとって日本の支配は1ミリも正当化できない絶対悪。
だからそれに反対して、伊藤博文を暗殺した行為は正義のおこない、「義挙」と呼ばれ、それによって処刑された安は全国民が尊敬するようなヒーローとなっている。
でも、国が変われば見方もしかり。
玄界灘の向こうでは、安重根への見方はまったく違っていた。
安重根
義挙を断行した義士として、民族的英雄になっているのは韓国での話。
数年前、当時の菅官房長官が安について、「初代首相(伊藤博文)を殺害した安重根はテロリストであり、その罪で死刑判決を受けた」と言い、安重根の記念館については「日本でいえば犯罪者であり、テロリストの記念館だ」と発言。
安重根義士を犯罪者、テロリストと呼ばれたことで韓国は騒然となり、メディアは大反発する。
たとえば中央日報のコラム「安重根義士がテロリスト?」(2014.01.28)では、これを「安倍内閣の征韓的な主張」と非難し、
・誰がテロリストなのか。
・「安重根はテロリスト」という主張はむしろ世界に対する無慈悲なテロだ。
と安重根はアジアや世界の平和を守ろうとしたのに、当時の日本が平和を乱す「テロ」を行なったと主張する。
これは韓国社会では一般的で、常識のど真ん中にある見方だ。
でも、首相を暗殺された日本にとっては、その首謀者が犯罪者やテロリストになるのが当然の認識で、日本の大臣や官房長官が「安重根義士」と呼んだら事件になる。
まあ韓国側と一致する日本人もゼロではない。
ハンギョレ新聞(2009-10-23)
“テロリストでなく世界の義士”‘安重根 巡礼’に発った日本人
ちなみに米誌ニューズウィークにはかなり攻めた記事がある。(2013年11月19日)
テロリストを英雄に仕立てる韓国の幼児的ナショナリズム
で、安重根は義士かテロリストか?
これはどっちの見方も正解で、互いに違いを認め合うしかない。
相手にも、自分と同じ認識をするよう求めることがおかしい。
「自分との違いは間違いだ」という態度は相手や多様性を否定することで、それこそ間違っているのに、韓国は日本に対してそう接することがよくある。
歴史認識ではほぼそう。
ただそういう韓国人も、安重根が裁判で伊藤殺害の目的について、
「私は日本四千万、韓国二千万同胞のため、かつ日本天皇陛下および韓国皇帝陛下に忠義を尽くさんがために、今回の挙に出たのです」
と言ったことをきっと知らない。
「安重根が明治天皇に忠義を尽くそうとした」と韓国の人が聞いたら、「歴史をわい曲するな!」と怒りそうだけど、その文句は安重根義士に。
まえにインド人と話をしていたとき、1857年の「インド大反乱」について聞いたら、「あれを“反乱”というのはイギリスの見方で、我々は“独立戦争”と呼んでいる」とまずブスッと釘を刺された。
以来、イギリス人と話すときは「反乱」、インド人には「独立戦争」と使い分けるようにしている。
チャカペル兄弟を含めて植民地支配に反対し、イギリス人を暗殺したインド人について聞くと、彼らは愛国者で英雄と言う一方で、それは国内限定の見方であることは理解していて、イギリスからみればテロリストになることは当然だとインド人は話す。
もし、チャーチル首相を暗殺したインド人を「英雄」と呼ぶイギリス人がいたら、インド人もビックリだ。
フランスの植民地支配を受けたベトナム人も同じ。
知人のベトナム人は、フランス人を殺害して処刑されたベトナム人をヒーローと呼ぶが、フランス人にその見方を求めない。
「あっちでは犯罪者でしょうね」と言う。
西洋列強の植民地支配を受けた歴史のあるモロッコ人やタンザニア人、ミャンマー人に同じ質問をしても、みんな答えは同じだ。
自国では愛国者やヒーローでも、相手国では犯罪者やテロリストだという2つの見方を認めている。
「安重根義士がテロリスト?」というように、自国の見方と違うことを問題視する報道は知らないという。
歴史の話なのに客観性から離れて自分を正義の立場に置き、道徳的優位に立って、相手(日本)にも自分と同じ歴史観や認識を要求する。そんな態度は世界のなかで韓国が際立っている。
「違いはアタリマエで、それは間違いじゃない」という認識が国内に広がってくると、日本との距離も縮まってくるのだけど、まずその認識が一致しない。
【漢字とハングル】韓国人が日本のお寺で感じた”過去との距離”
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