韓国の歴史認識に、インドやベトナム人が感じた違和感

 

1911年のきょう12月12日、イギリスが支配していたインド帝国で、首都がカルカッタからニューデリーへ移転した。
その理由について、英語版ウィキペディア(Kolkata)にはこんな説明がある。

「The capital was moved to New Delhi in 1911. Calcutta continued to be a centre for revolutionary organisations associated with the Indian independence movement.」

1911年に首都がニューデリーに移された後も、カルカッタはインド独立運動の中心地であり続けた。

当時のカルカッタでは、反英感情の高まりから、爆破事件やイギリス人を殺害する事件が発生し、もはやコントロール不能な状態になっていた。
そのため、イギリスは首都機能をデリーへ移転することにした。
このころはインド各地にイギリスに敵意や憎悪を持つ人たちがいて、プネーではチャカペル兄弟がイギリスの要人を射殺した。しかし、彼らはその後処刑された。

彼らは、日本統治下で伊藤博文を射殺した安重根と似ている。

【インドの安重根】チャカペル兄弟、イギリス支配に一矢報いる

 

チャカペル兄弟の1人

 

フランスに支配されていたベトナムでも、反仏運動が起きていた。
たとえば、ヴォー・ティ・サウという女性は市場でフランス兵に手榴弾を投げ、その隊長を殺害した。
その後、彼女はフランスに逮捕され、1952年に処刑された。

ベトナムの国民的英雄&”テロリスト”の少女、ヴォー・ティ・サウ

この場合は、1932年に天皇を殺害しようと、東京で爆弾を投げつけた李奉昌(イ・ボンチャン)と似ている。

 

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ベトナムの独立活動家の首を切断したギロチン

 

ある国が別の国に支配されていたら、敵意や憎悪が高まり、支配者側の人間が殺害される事件は世界史にはいくらもである。
知人のインド人に聞くとチャカペル兄弟はヒーローで、ベトナム人に言わせるとヴォー・ティ・サウはヒロインだ。
祖国のために戦って命を落とした人物は、どこの国でも英雄として尊敬される。
しかし、インド人もベトナム人もそれは自分たちにとっての話で、イギリスやフランスにとっては「テロリスト」になると考えていた。

韓国の考え方はそこが違う。
中央日報の記事(2014.03.31)

日本の官房長官「安重根は犯罪者」…韓国政府「伊藤博文こそ侵略の元凶」

安重根は初代総理である伊藤博文を殺害し、死刑判決を受けた人物。
そんな安の記念館について、当時の菅官房長官が「日本の立場から言えば犯罪者、テロリスト記念館」と発言すると、韓国側は猛反発した。
安重根は英雄で、伊藤博文は侵略の元凶であるというのは韓国側の見方で、日本サイドはまったく違う。
でも、韓国としては「お互い立場が違いますから、仕方ないデスネ」と認めることはできない。

 

ほかの国でも、こんな考え方があるのだろうか?
外国に支配された歴史のあるインド人とベトナム人に聞くと、どっちも「それはない」という点で意見が一致した。
イギリスやフランスもそれぞれの歴史認識を持っているから、他国に自分たちと同じ認識を求めることはおかしいし、それは無理だと言う
これには同感。

ただ、韓国としてはそれが必要らしい。
中央日報の記事(2023.10.14)

日本人の韓国好感度は高まったが…「韓日間の認識の隔たり狭めるべき」

きょねん韓国で大統領が変わったことで、日韓関係はかなり良くなっている。
しかし、それをもっと強固にするためには、しなければいけないことがあるという。
日韓関係について話し合う場で、ソン・ヨル東アジア研究院長がこう話す。

「韓国は侵略戦争、歴史教科書、戦争賠償などの議論に集中する半面、日本は韓国の反日行動などの態度を問題にする傾向を見せ、過去の問題に対する認識の隔たりが存在する」

韓国側では過去の歴史について、日韓の認識の違いをなくす努力が必要と考える人が多い一方で、日本ではその考えに拒否反応を示す人が多く、両国の隔たりは埋まらない。

 

なんで韓国の人たちには、違いを違いとして受け入れることが難しいのか?
それについて、韓国旅行で出会った50代の日本語ガイドから、こんな話を聞いたことがある。

「日本はかつて、朝鮮の女性を慰安婦として強制連行したり、ひどい行為をたくさんしました。しかし、その事実を認めず、謝罪もしません。こんな態度はダメですよ。私は日本が大好きだから、日本語を学んでガイドになりました。韓国と日本は世界で一番近い距離にあって、ずっと前から交流がありました。細かい違いはあっても、根本的には同じ人間だから、重要な考え方や気持ちは共有したいんですよ。何度も言えば、いつかきっと理解してくれると信じています。」

話を聞いていて、このガイドはとてもピュアな人だと思った。
悪意は一切なく、観日の友好を深めたいという善意から、彼は歴史認識を同じにさせたいと考えている。
でも、それは日本の認識を韓国に合わせるというものだから、どうしようもない考え方の隔たりがあることを感じた。
実際、ほとんどの日本人はそんなことを求めていない。
それを「韓国の反日行動」と受け止め、正直ウンザリしている。

知人のインド人とベトナム人はイギリス人やフランス人に対して、違う価値観や感情を持つ人間と考えていて、一体感なんて求めていなかった。
自分たちにとっての英雄が、テロリストと見なされることを当然と考えていた。
こうした人たちからすると、歴史の認識を一致させようとすることには違和感を感じてまう。

 

 

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日本人なら知らきゃ!インドの英雄チャンドラ・ボースと日本

東南アジアで戦争と平和を知る。日本軍のインパール作戦とは?

「ハノイ投毒事件」にみる日本とベトナムの歴史の違い

 

2 件のコメント

  • 韓国人は歴史を「感情」の次元で解釈する傾向があります。
    特に日本に関しては学校で反日教育を受けすぎてきたので日本が反省しなければならないと思います。しかし、実際に日本が朝鮮を統治していた方式は、イギリスやフランスなどの西欧強国が彼らの植民地で行った恐ろしいこととは比べ物にならないほど「紳士的」でした。現在の韓国人はそれを知りません。 左派によって捏造された反日教育を受けてきたからです。
    韓国人として残念です。

  • 「共に民主党」の政治家のように、自分の利益のために歴史を利用する人もいれば、このガイドのように日本との友好を望むから、歴史問題を話す人もいます。
    動機が純粋なだけ、日本人としては重いですね。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。