「ベトナム北部と大阪には共通点があるんです。何かわかりますか?」
ベトナム旅行でお世話になった女性の日本語ガイドから、そんな質問をされて時間が止まった。
答えはどちらにも「河内」があることで、ベトナムの首都ハノイを漢字で書くと「河内」になる。
「そうなんですか!それは知りませんでした!」とか言ってほしかったんだろうけど、正直それほど。
共通点ではなくてベトナムの日本の違いについてたずねると、「たくさんあります」という答えが返ってきたんで、歴史にしぼってきいてみた。
すると「そうですね~」とちょっと考えてから、
「日本はアメリカに負けましたが、ベトナムは勝ちました。ベトナムはアメリカと中国を撃退した世界で唯一の国なのです。ですからその点では日本だけでなく、世界のどの国とも違いますね。」
なんてことを、客に向かって言いやがりました。
まあ間違ってはないんだが。
ガイドは続けてこう話す。
「昔からいろんな侵略者がやってきましたから、ベトナムの歴史は戦いの連続なんです。一時的に占領に成功した国があっても、最後には必ず追い出しました。愛国心の強さも日本人とは違うと思います。学校の歴史で国を守ることの大切さをならうから、ベトナム人は愛国心が強いのでしょうね」
とのこと。
そんなガイドとハノイの博物館に行ったら、フランスが生んだ世界で最も有名な処刑道具ギロチンがあってビックリ。
見た目はオソロシイこのギロチン、でもこれが開発された動機は実は人間への「やさしさ」からだった。
フランスに植民地支配されていた時代、独立を求め抗仏運動をしていた多くのベトナム人がこれで命を奪われたという。
ギロチンの絵なら、フランス革命について勉強していたときに世界史の教科書で見たんだが、まさかその現物をベトナムで見るとは。
ガイドいわく、フランス人は「ベトナムに文明を与える」という超上から目線で植民地支配をしていたから、それに逆らう人間に容赦はなかった。
そういえば19歳の女の子もギロチンで首を切断されたっけ。
ベトナムの国民的英雄&”テロリスト”の「ヴォー・ティ・サウ」
このときガイドはフランス人との戦いの一例として、何かマンガでありそうな作戦の話をした。
そんな10年ぐらい前のことはすっかり忘れていて、最近ギロチンについて記事を書いてるときに偶然、「あのときの話はこれか?」という事件を発見。
それが1908年に起きた「ハノイ投毒事件」だ。
事件の舞台となった、フランス軍が駐留していたハノイ城
その作戦の内容はこうだ。
まずベトナム人の料理人がハノイ城に駐留していたフランス軍人に毒を入れた夕食を出す。
そしてそれを食べたフランス人が死ぬか、動けなくなったのを見計らって、城の外で待機しているホアン・ホア・タムに連絡する。
すると大勢のベトナム人兵士が突入してハノイ城を奪う、というものだったらしい。
「らしい」というのは、結局この作戦は失敗して、全容が明らかになっていないから。でも、ハノイ城をフランス人から取り戻そうとしたとみて間違いないだろう。
その作戦が決行されたのは1908年6月27日の夜。
まず料理人が曼荼羅華の毒を含ませた料理を、200人近いフランス軍人に食べさせることには成功した。
これで死んだ人はいなかったから、「なんだこれは。うっ、動けねえ…」といった状態だったと思われる。
でも料理人の一人が罪悪感から、教会のフランス人神父にこれを告白する(=裏切った)。
するとその神父がすぐに治安当局に告げ、フランスのインドシナ総督ポール・ボーは戒厳令を敷いて、この作戦に関わる人間の逮捕を命じた。
一方、城の外で待っていたホアン・ホア・タムは、何の知らせも来ないことで作戦は失敗したと判断し、闇夜に紛れて去った。
この投毒事件に激怒したフランスは、すぐに13人をギロチンで処刑する。
ひょっとしたら、そのギロチンは博物館にあったあのギロチンかもしれない。
「世界最古の国」といわれる日本には、異民族に支配された経験がない。
だから、ベトナム史には山ほどあるこんな抵抗運動が日本史にはひとつもない。
こういう歴史の違いは愛国心の強さをふくめ、日本人とベトナム人の価値観や考え方の違いに大きな影響を与えているはずだ。
フランスに捕まったハノイ投毒事件の容疑者
ベトナムにとっては愛国者で勇者
事件の首謀者で、ホー・チ・ミンからも尊敬されたホアン・ホア・タム
フランスにとってはテロリストでも、ベトナムでは歴史上の英雄だ。
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