ここ30年ほど、海外に比べると日本のサラリーは伸び悩んでいて、今ではネットを見ると「安いニッポン」というワードが目立つようになった。
実際、日本と海外の温度差に気づいていない人は多い。
たとえば、きょねんディズニーランドが大人の1日券の料金を最高で1万900円に設定したとき、ちまたでは「1万超え! もう行けない!」と悲鳴が上がったことは記憶に新しい。
でも、料金は7900円からで、日本のディズニーの入園料は世界でも最安水準にある。
本家アメリカ(カリフォルニア州)のディズニーランドでは、1日券が最低でも約1万6000円で、人が集中する時期には約2万9000円に跳ね上がる。
日本の最高料金でも、アメリカでは最低に届かない。
もちろん、これは日本の給料が全体的にアメリカよりも安いからで、家族でディズニーランドに行った場合、日米のどちらの負担が大きいのかは分からない。
最近、あるネット・メディアで、オーストラリアへ「出稼ぎ」に行った若者を特集した記事を見た。
おもに 20代の日本人がワーキングホリデーでオーストラリアへ行くと、そこには、ブルーベリー摘みの仕事で月収 50万円、カフェで働けば月収 40万円、介護アシスタントで月収 80万円という夢の高待遇が待っている。
実際、オーストラリアで1年間働いて、200万円や 300万円貯めたという報告がSNSで上がっているという。
これに日本のネットユーザーの感想は?
・お金と経験がたまるボーナスステージ
・日本を出てくのに円ベースの貯金額で考える意味ある?
・もしかしてこの国って終わってんの
・給料が3倍で物価が3倍だとしても
貯金も3倍できる
・支出の話もせんかい
・ワーキングプアのフリーターは毎日こき使われても年収で 400も行かないのに…
かつては海外で「黄金の国」とウワサされ、コロンブスも目指したジパング(日本)も、21世紀にはこのていたらく。
(もともとこれはただの言い伝えだったのだけど。)
しかし、これをひっくり返すと、海外の高い給料をもらって、安いニッポンで暮らすのが最適解ということになる。
最近、そんな外国人と会った。
その外国人は、日本の大学に留学している20代のメキシコ人男性だ。
彼は以前レストランでアルバイトをしていて、それを辞めて今はスーパーでバイトをしている。と思ったら、このまえ彼と会ったらそれも辞めたという。
「わたしは日本語があまりできないから、商品を棚に入れる仕事をまかされていたんです。時給はどっちもほぼ同じです。レストランでの仕事に比べれば、スーパーでは日本語がわからないことから感じるプレッシャーが無かったから、精神的にはラクでしたね。」
ーーじゃ、なんでそれを辞めたん?
「ネットサーフィンをしてたら、アメリカの会社がプログラミングの仕事の求人を出しているのを見つけたんです。すぐにそれに応募したら、即採用されました。このスピード感はいいですね。で、今はその仕事をやっています。時給ですか? 950円から 40ドルに上がりました。」
「ネットサーフィンをしていたら、アメリカの会社がプログラミングの仕事の求人を出しているのを見つけました。それにすぐに応募したところ、即採用となりました。だから、今はその仕事をやっています。時給ですか? 950円から40ドルに上がりました。」
ーー40ドルか。
えっと、最近、1ドルが34年ぶりに160円台になって話題になったから、それで換算すると、時給 6400円!!!
「雨の日も風の日も自転車でスーパーへ行って、ヘトヘトになるまで働いていましたけど、今はアパートの自室でコーラを飲みながら仕事をしています。もう、あの生活には戻れませんね。」
ーーだろうね、全人類が同じ判断をすると思う。
「でも、マイナス面はあります。動かしているのは頭と指だけですから、最近はちょっと太ってしまったんです。だから、ジムに通いはじめました。」
インターネットの世界に国境は関係なく、英語ができれば活躍の場は無限にある。
そんな現代なら、能力さえあれば、日本にいながらドルを稼ぐことも簡単にできる。
欧米の水準でカネを稼いで、「安いニッポン」で生活するのはどう見ても最高だ。
しかし、そろそろ日本は高級化を目指すべき。
英語と(それなりに)高度なプログラミングができる人材に、商品の棚入れをさせるのはもったいない。
でも、日本には「日本語の壁」があるから、外国人が能力を発揮することはむずかしい。
それも、「安いニッポン」の原因の一つなんだろうけど。
> 欧米の水準でカネを稼いで、「安いニッポン」で生活するのはどう見ても最高だ。
ほんの20年くらい前には、日本と外国では逆の立場にありました。たとえば東南アジアへ赴任して(日本の本社から)円建てで給料をもらって10年も働けば、(日本国内に)家が建てられるなんて言われた時代もあったのです。
> しかし、そろそろ日本は高級化を目指すべき。
最近の経済評論家はそのように主張する人が多いです。でも本当にそう言い切れますかね?
たとえば・・・
東京ディズニーランドに行きたがる、行ったことがある、行こうと思えば行ける日本人は、どれくらいの割合でしょうか? また、カリフォルニアの本家ディズニーランドに行きたがる、行ったことがある、行こうと思えば行けるアメリカ在住者は、どれくらいの割合でしょうか?
「高級化」を目指すべきか否か、その答えは結局、「どのような社会を目指すべきか」によるのだろうと思います。
日本人は、「もったいない」「足るを知る」「質素倹約」「日々これ修行」「わびさびの美」といった、他国の人々にはほとんど見られない稀有な気質を有する民族です。これをアメリカあるいは韓国のように、より純粋な資本主義・市場経済競争の方向に転換するのは容易ではないでしょうね。
「足るを知る」もいいのですが、日本の給料は上がったほうがいいと思います。
それはもちろん、上がった方がいいに決まってます。
問題は、誰の(どのような人たちの)給料を、あるいは給料以外の収入を、どうやって上げるのか? という点です。
そこまで細かいことになると、記事とは別の話になりますね。
私には何とも分かりません。