親日国として有名なタイ。
最近、知り合いのタイ人がSNSで、「日本料理を食べに行ってきたよー」と動画で店内の様子を紹介してくれた。
文字は読めなくても、日本語が書いていると日本っぽい雰囲気が出て、タイ人の気分もアガるらしい。
何となく昭和な感じの店内。
日本とタイの関係は、歴史的には江戸時代の初期にはじまり、朱印船貿易がおこなわれ、アユタヤ(タイ)には日本人町がつくられた。
現在につづく日タイ関係は、1887年(明治20年)に両国が国交を結んだことが起点となる。
その直前の1884年、ヨーロッパにいたシャム政府の高官は、ヨーロッパ列強によってシャムの独立が脅かされる危険があるとラーマ5世に警告を送った。
*1939年に国名をシャムからタイに変更する。
そして、彼らは明治日本を参考にシャムを改革し、立憲君主制にすべきだと進言した。
They advised that Siam should be reformed like Meiji Japan and that Siam should become a constitutional monarchy.
タイが日本と国交を結んだ背景には、西洋列強の脅威があったはず。
この警告の10年後、タイを揺るがすパークナム事件が発生。
1893年のきょう7月13日、フランス海軍の軍艦2隻がタイの警告を無視してチャオプラヤー川を進み、タイ軍との間で戦闘が開始された。
しかし、当時のタイの軍事力では、フランス軍には勝つことは不可能だった。
フランスはタイに対し、メコン川の東側の領土を割譲することを求めたが、タイ政府はフランスに国土を与えたくなかった。そこで、イギリスからお金を借りて、フランスに賠償金を渡して解決しようと考えたが、イギリスから借金を断られてしまう。
結局、タイはメコン川東岸全域をフランスに奪われてしまった。
このパークナム事件が起きた時、バンコクの人たちはフランス軍の攻撃を恐れて逃げ回り、大混乱におちいったという。
タイでは、街中のあちこちで王族の写真が飾られている。
国王ラーマ5世は、それまでイギリスやフランスとの関係を重視していたが、この一件で、信用することができなくなり、日本との関係強化に力を入れることにした(これ正解)。
日本もすでに国交を結んでいたこともあり、よろこんでタイの近代化に力を貸す。
法律家の政尾藤吉(まさお とうきち)が派遣され、彼はシャム政府から信頼を得て法律顧問となった。
また、王妃の希望で3人の日本人女性教師がタイへやって来て、上流社会の女性たちを指導した。その中の1人、安井てつはこう語っている。
「シャムでの経験で得た最も貴いものは、愛には国境はなく、誠意はいかなる国民にも必ず通じるということである。そして教育は実に愛の仕事だと深く思わされたのである」
ほかにも日本人の技術者が派遣され、シャムの近代化に貢献した。
日本でいう明治維新は、タイでは「チャクリー改革」と呼ばれている。
こうした日本の協力やタイはラーマ5世のリーダーシップで、シャムは近代国家となり、独立を守ることができた。
現在のタイ人のほとんどは(日本人も)、この時の日タイの協力・友好関係を知らないだろうけど、第二次世界大戦中、日本とタイは同盟関係を結んでいたこともあり、昔から仲は良かったのだ。
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