今回はラーマ5世のはなし。
ということで、まずはラーマ5世が建てたお寺(大理石寺院)を見てみましょー。
同じ仏教のお寺でも、日本とは全っ然ちがう。
今回の内容
・タイの「三大大王」
・タイで見かける「ラーマ5世」
・ラーマ5世が尊敬される理由
・タイの「三大大王」
日本とタイの関係について、大事なポイントは?
それは、日本には天皇、タイには国王という存在がいること。
日本にあるタイ王国大使館のHPでも、そのことを重視している。
「日本とタイの関係」で、こう書いてある。
それぞれの国民に王族ならびに皇族は愛されています。日本の皇族とタイの王族は伝統的に友好的な関係にあります。
でも、それぞれの国での「愛され方」については大きく違う。
前回はそのことについて書いた。
今回はラーマ5世というタイの国王について書いていきたい。
まずタイの国としての歴史は「スコータイ王朝」から始まる。
スコータイ朝
13~15世紀スコータイを都に建てられたタイ人最初の王朝。カンボジアから自立し、第3代ラームカムヘーン王の時代に最盛期となった。上座部仏教が導入されて仏教文化が栄え、製陶技術も発展した。南部のアユタヤ朝に併合された。
(世界史用語集 山川出版)
スコータイ朝で大事なことは、これが「タイ人が建てた初めての王朝」だったということ。
それまで、タイ人は自分たちの国をもっていなかった。
スコータイとは、「幸福の夜明け」を意味する。
これには、「やっと自分たちの国をもつことができた!」という気持ちが込められているのかもしれない。
このスコータイ朝から現在にいたるまで、タイにはさまざま国王がいた。
でも、タイの歴史で「三大大王」と呼ばれる王は3人だけ。
それ以上いたら「三大」じゃなくなるしね。
その中の1人は以前、記事で紹介した「ナレースワン大王」。
この王はムエタイを始めた王としても有名だ。
別の1人はこのスコータイ朝の王で「ラームカムヘーン大王」。
この王の時代にタイ文字がつくられている。
韓国でいえばハングル文字を生み出した世宗(セジョン)のような国王だ。
そういえば、世宗も「大王」と呼ばれている。
その国の文字を創りだした王というのはどこでも評価が高い。
世宗
そして最後の1人がラーマ5世という国王。
この王は現在のタイをつくったことでとても有名で、タイの国民からとても愛されている。
タイでもっとも尊敬されている国王と言ってよく、国民ならなら誰でも知っている。
タイに興味があるなら、ラーマ5世という王様を知っておいたほうがいい。
ラーマ5世(ウィキペディア)
・タイで見かける「ラーマ5世」
「中国にとって不幸なときは、中国がたいへんなとこに西太后(せいたいこう)がいたこと」
中国旅行でお世話になって中国人ガイドはがそんなことを言っていた。
19世紀末、中国はヨーロッパとの戦争に負けて、香港や他の土地をどんどん外国に奪われていった。
国がたいへんなときに、西太后は国のことより自分の誕生日パーティーのことに夢中だった。
「最大の敵は無能な味方(友)」という感じで、結果、中国は「半植民地状態」になってしまった。
西太后
その点タイは違っていて、歴史の神様に愛されていた。
「タイにとって幸福なことは、タイがたいへんなときにラーマ5世がいたこと」
タイ人ならきっと同意してくれるはず。
タイも19世紀末は困難な時代をむかえていた。
まわりの国が次つぎとヨーロッパの植民地にされていき、国家存亡の危機と直面する。
そんなときに国王に即位したのがラーマ5世という名君。
タイ三大王のうちの一人で今でも国民から人気が高く、肖像画が首飾りやポスターになったり、像が仏壇に置かれたりしている。
(ウィキペディア)
先ほど紹介したこの「三大王」の中でも、ラーマ5世の人気は一歩抜けている感じがする。
タイのタクシーの中で見たお守りでも、もっとも多いのがラーマ5世だった。
タイ人に言わせると、ラーマ5世は「神」と同じでお守りになるという。
タイの国会議事堂の前にある立派な銅像もラーマ5世だ。
タイで最高の大学は、「チュラロンコーン大学」という。
チュラロンコーンはラーマ5世が国王になる前の名前。
タイ人の友人がこのチュラロンコーン大学の卒業生で、この大学の卒業証書は国王から渡されるという。
これは、タイの大学のなかでチュラロンコーン大学だけ。
友人のときは、国王じゃなくて王女がしたそうだけど。
タイは「日本大好きNO1」の国。
いろいろなところで日本をみかける。
・ラーマ5世が尊敬される理由
なんでラーマ5世がタイでこれほどまでに尊敬されているのか?
この2つはおさえておこう。
1、タイの独立を守ったこと。
ミャンマーやカンボジアなど周辺国が次つぎとヨーロッパの植民地になっても、タイは独立国であり続けた。
2、タイを近代化したこと
ラーマ五世は奴隷を解放したりヨーロッパの制度をとり入れたりしてタイを近代国家にした。
チュラロンコーン大王(ラーマ5世)は、思い切った中央集権化と近代化を行い、タイの独立を保ちました。
司法、行政制度を整備し、財政を整え、郵便通信事業、鉄道、教育制度、さらに軍制改革、奴隷制度廃止など近代国家としての基礎を作り、絶対君主制を確立しました。
(タイ王国の歴史)
「司法、行政制度を整備し、財政を整え、郵便通信事業、鉄道、教育制度、さらに軍制改革」という部分は、明治の日本でいう富国強兵とおなじ。
これをタイの歴史では「チャクリー改革」という。
この改革から現在のタイができあがっている。
バンコクの様子
「タイの独立を守り続けた」
「タイを近代国家にした」
おもにこの2つの理由で、現在ラーマ5世は大王とよばれるほどの尊敬を集めている。
ところで、このラーマ5世は明治天皇といくつか共通点がある。
このことを知ったらラーマ5世に親しみがわくと思う。
それを次回書きます。
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