長崎県対馬市では夏に「厳原港まつり」が開催され、その目玉イベントとして、日韓の市民が参加して朝鮮通信使の行列がおこなわれる。(2024年は8月3日・4日)
このイベントの実現に努力した「朝鮮通信使行列振興会」の名誉会長が先週亡くなったと、いまニュースで見た。
名誉会長さんは、「行列を通じて、通信使の役割や目的、歴史的な意義を感じ取ってもらいたい」と語り、日韓の友好親善を願っていたという。
朝鮮通信使の行列は 1980年からはじまり、1988年には韓国の有名な民謡「アリラン」の名を加え、祭りの名称は「厳原港まつり対馬アリラン祭」となった。
しかし、現在は「対馬厳原港まつり」と、「アリラン」が削除されている。
これは、2012年に悲しい事件が起こったからだ。
朝鮮国王が日本の将軍に、「信(よしみ)を通(かよ)わす使者」として派遣したのが朝鮮通信使。
正式名称は「朝鮮聘礼(へいれい)使」で、彼らは将軍に贈り物を届けるために日本を訪れた。
1764年に、対馬の鈴木伝蔵が朝鮮通信使の崔天悰に侮辱され、崔を殺害する事件(唐人殺し)が起きたこともあるけれど、全体的には、朝鮮通信使が来日していた時期の両国関係は安定していた。
ということで、現代でも、朝鮮通信使は日韓友好の象徴となっている。
この行事は室町時代、足利義満の時代にはじまり、いったん中断した後、江戸時代の 1607年に再開され、第12回(1811年)までつづけられた。
16世紀の末期、豊臣秀吉が朝鮮半島へ出兵したことで、日朝の国交が断絶し、朝鮮通信使が日本へ来ることはなくなった。
それからトキは流れて現代になり、対馬の祭りに朝鮮通信使の行列が再現され、これが夏の風物詩となる。そして、祭りの名称が「厳原港まつり対馬アリラン祭」となり、対馬と韓国の距離がさらに縮まった。
しかし、2012年に韓国人窃盗団が対馬の寺から、国宝の仏像を盗み出す「対馬仏像盗難事件」が発生すると、友好モードが吹っ飛んだ。
韓国で窃盗団が捕まっても、仏像が返還されなかったことで一気に熱が冷め、祭りから朝鮮通信使の行列は消え、「アリラン」も削除されて「厳原港まつり」となる。
ハンギョレ新聞の記事(2013-04-24)
“仏像返して” …日本 対馬、朝鮮通信使行事 33年ぶり中断
16世紀には朝鮮出兵によって、21世紀には仏像盗難のよって中断された。
通信使は本当に日韓友好のシンボルで、関係が悪化するとその存在も無くなる。
その後、仏像の所有権をめぐって大モメになり、2023年にやっと韓国最高裁から、所有権は対馬の寺にあると認められた。
「10年もかかったけど、これで終わった」と、対馬の人たちは安心したと思われるが、なぜか、韓国から仏像は戻ってこない。
シビレを切らした対馬市議会は今年3月、日本政府が韓国政府に対し、仏像の早期返還を働きかけることを求める意見書を採択した。しかし、何も起こらす、もうすぐ判決から1年になろうとしている。
対馬の夏祭りで朝鮮通信使の行列は再開されたが、「アリラン」はまだ復活していない。
これがどうなるかは韓国政府にかかっているが、日本政府にも対馬の声に応える責任がある。
本物の朝鮮通信使が将軍への贈り物を持って来日したように、現代の朝鮮通信使が仏像を持って対馬を訪れてくれたらいいのだけど。
【キmチ】日本人と韓国人の“文化観”の違い 愛と誇りと正確さ
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