「我々が独立を実現した!」 止まらない韓国の“愛国抗日”路線

 

夏の甲子園で優勝した京都国際高校のルーツは韓国の民族学校にあり、1990年代に日本の学校(一条校)となって、現在では韓国人より日本人の生徒の方が多い。
野球部について言えば監督もスカウトも日本人で、甲子園で試合をした球児の全員か、ほぼ全員が日本人だ。
それにもかかわらず、京都国際が優秀すると、韓国では大統領がお祝いのメッセージを出すほどのお祭り騒ぎになった。
この現象は、韓国の人たちが常に心の中で、日本と戦って勝つことを切望していることの表れだ。
そんな「愛国抗日」の気持ちのルーツは、日韓の歴史の中、特に近代史にある。

たとえば、1920年に中国北部・鳳梧洞(ポンオドン)で起こった鳳梧洞(ポンオドン)戦闘だ。この戦闘は、韓国ではかなり有名だけど、日本では「まったく」と言っていいほど知られていない。
韓国の中学生用の歴史教科書「躍動する韓国の歴史」(明石書店)には、その戦闘についてこんな記述がある。

「独立軍勝利!
鳳梧洞で敵を大破
大敗した逃げた敵は120余名が死んだり、けがをした。」

「以後続いた戦闘は豆満江から40里離れている険しい山岳地帯でくり広げられたが、独立軍はこの戦闘で日本軍300余名を殺傷する大勝利を収めた。」

教科書では、生徒たちも独立軍が歌っていたこんな歌を歌い、その「心意気」について話し合ってみようと提案する。

「三千里、三千万の同胞を救うのは君とわたしだ
進め、進め、戦いに出でよ、出でよ、戦いに出でよ
独立門の自由の鐘が鳴るまで戦いに出よう」

子どものころから学校でこんな“軍歌”っていたら、自然と抗日精神が身につく。

 

では、せんえつながらツッコミを入れさせてもらうと、まず、この独立軍というのは「自称」であって正式な軍ではない。
軍隊なら、通常は国家に属する組織のはずだ。しかし、1910年に大韓帝国は日本に併合され、国は消滅していたから、この集団は国家の組織でない。
1919年に上海に登場した大韓民国臨時政府も「自称」であって、この組織を正式な政府と承認した国はない。
臨時政府の最大の支援者だった中国(中華民国)でさえ、政府と認めなかったくらいだ。臨時政府が中国国民党の下部組織だったことを考えれば、その認識は当然かなと。

そんなことから、日本語版ウィキペディアでは、独立軍を「武装集団」や「抗日武装組織」と表現している。彼らは抗日とは関係ない町を襲って民間人に危害を加えたり、略奪行為をしたりしたけれど、韓国の歴史教科書にそんな記述はない。
抗日武装組織というのが中立的で正確な表記だと思うが、それだとちょっと長いので、ここでは「独立軍」という言葉を使うことにする。

 

独立軍の兵士

 

韓国では、先ほどの鳳梧洞(ポンオドン)戦闘が独立軍による重要な成果とされているから、教科書は「日本軍300余名を殺傷する大勝利を収めた」と絶賛する。
しかし、日本語版ウィキペディアにある「鳳梧洞戦闘」の解説を見てみると、被害者数にはかなりの開きがあることがわかる。

「朝鮮側では、死亡者157人、重傷者200人、軽傷者100人であるが、日本側では死亡者1人、負傷者2人となっている」

同じ出来事でも、死亡者が「157:1」、負傷者は「300:2」というとんでもない違いがある。しかし、日韓の歴史ではこんなギャップがよくある。
独立軍の実態は武装組織だったから、規模は小さく、日本軍とまともに戦うことはできなかった。鳳梧洞戦闘も実際にはちょっとした武力衝突、「こぜり合い」程度だっただろうから、日本側のデータの方が正しいと思う。
しかし、韓国の人たちはこれを「大勝利」と考えているのは間違いない。

 

韓国では文在寅(ムン・ジェイン)前大統領の時期に、鳳梧洞(ポンオドン)戦闘の100周年を記念する式典が開かれるなどして、この戦いがとくに注目を浴びるようになった。
文氏は「歴史に残る勝利」と絶賛し、文政権の考え方に近いハンギョレ新聞は「祖国解放戦闘」と表現した。
日本からの解放を祝う8月の15日の「光復節」で、前大統領は演説でこう述べた。

「我々の独立運動は、国を取り戻すと同時に、一人一人の個人の尊厳をも高める過程でありました。我々は独立と、主権在民の民主共和国を樹立する革命を同時に実現しました。」

ソース:「第75周年 光復節 文在寅大統領 慶祝辞

「我々の独立運動」の中には鳳梧洞戦闘も含まれている。
文氏は独立について「我々が実現したもの」と国民にアピールしているが、実際には日本がアメリカに降伏した結果だ。
そもそも日本では、日本軍が独立軍と戦ったという認識は普通はない。

韓国に約50年住んでいて、韓国事情に精通しているジャーナリストの黒田勝弘氏は、文前政権時に起きた韓国の歴史認識の変化について、産経新聞のコラム『ソウルからヨボセヨ』にこう書いている。(2024/8/17)

マスコミも独立運動の話ばかりで日本と〝独立戦争〟をして勝ったような雰囲気だ。特異な歴史認識の広がりから、今や日本統治時代の国籍を含め歴史の真実が実感できなくなったのだ。

日本との〝独立戦争〟に勝った? 特異な認識、歴史無視が広がっている

 

「日本統治時代の国籍」というのは、独立記念館の館長に任命された歴史学者、金亨錫(キム・ヒョンソク)氏が日本統治時代の韓国人の国籍を問われた際、「日本」と答えたことを指す。
第三者から見れば、これは歴史的な事実。
1936年のベルリンオリンピックで金メダルに輝いた朝鮮出身のマラソン選手、孫 基禎(ソン・ギジョン)について、国際オリンピック委員会(IOC)は「日本国籍」と記録している。韓国の与党サイドも同じ認識だ。当時は「韓国」という国は存在していなかったから、独立軍という正式な軍隊はなかったし、韓国籍の人もいなかった。
しかし、野党などリベラル勢力はそれに反発し、政府や金氏を「日本支配の歴史を容認する売国奴」などと非難した。
韓国では国民感情が優先され、こういう理不尽なことがよく起こるから、日本では「事実陳列罪」とやゆされる。

独立軍・臨時政府・鳳梧洞戦闘の扱いを見てもわかるように、もともと韓国では、(少なくても日本の視点では)近代史を美化&誇張する傾向があった。
そのうえで文前大統領が「愛国抗日」を強調したから、そんなムードがさらに高まり、今の韓国社会ではそれが「ノーマル」となっている。京都国際の勝利を自国の勝利のように感じたのも、きっとこれが背景にある。
尹(ユン)大統領は日本との関係強化に取り組んでいるから、そんな行き過ぎた社会の空気にストップをかけ、修正している(ように見える)。
しかし、その道は長く険しい。

 

 

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4 件のコメント

  • > 生徒たちも独立軍が歌っていたこんな歌を歌い
    本当にその「独立軍」とやらが、こんな歌を歌っていたんですかね? 非常に疑わしい。後年の創作じゃないんですか? なぜなら歌の一節に、
    「独立門の自由の鐘が鳴るまで戦いに出よう」
    という歌詞があるからです。

    この「独立門」というのは、日清戦争で勝った当時の日本が、それまで清の属国であった朝鮮を「独立させてやった」ことを記念して建てられた門だからです。しかも、その門が建てられる前には、宗主国である清からの使者を丁重に迎えるための「迎恩門」という建造物があったのを、わざわざ壊した上で独立門を建てているのです。
    独立門ができてからまださほど年代を経てない時に、独立軍の者たちがそのことを分かっていないはずはないと思うのですけどね。

    自国の歴史的事実を知らない現代の韓国人だったら、独立門に関してそんな勘違いをするでしょうけど。実際、特に若い韓国人には、その手の間違いを事実だと思い込んでいる人が多いらしいです。

  • まぁ、「独立門」については私も引っかかりました。でも、教科書に書いてあったので、そのまま転記しましたが。

  • 韓国人として恥ずかしいのですが、韓国はまさに「精神勝利」の国です。
    私は今現在も、日治時代の朝鮮人の国籍はどこなのかを取り上げたあるYouTubeにコメントを書き、他の人たちから”国籍は韓国だ”という攻撃に悩まされています。彼らは当時の日本国籍法で「朝鮮人は海外国籍を取得しても大韓帝国国籍を維持する」という規定を見つけ出し、当時も朝鮮人は韓国国籍だったと強弁しています。その規定は日本が朝鮮人と日本人を区分するためのものでしたが、それを根拠に韓国籍を維持したと主張するのは一般国民だけでなく、弁護士出身の国会議員までそのように主張しています。いろいろな面で、本当に難しい国です。(´;ω;`)

  • >彼らは当時の日本国籍法で「朝鮮人は海外国籍を取得しても大韓帝国国籍を維持する」という規定を見つけ出し
    私も探してみましたが、この規定が見つかりませんでした。
    それに関係する事かもしれませんが、「朝鮮」の戸籍はあります。

    「韓国併合により日本国籍を付与された旧大韓帝国の臣民については、日本の戸籍とは別に、朝鮮戸籍と称される戸籍が編製され、朝鮮戸籍に登載された者は朝鮮人とすることになった。」
    しかし、当時の日本の認識では大韓帝国は存在しないことになっていたはずです。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B1%8D

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。