【インド人の眼】カースト制度と士農工商の共通点と違い

 

9月19日は「苗字の日」。
江戸幕府が崩壊して明治時代がはじまると、政府は1870年のこの日、平民も苗字を名乗ることを許可した。
これは、江戸時代にあった士農工商の身分制度を廃止し、四民平等の世の中を実現するためだ、という見方はもう周回遅れ。
最近の研究から、江戸時代には士農工商の身分制度がなかったことが確認されたため、現在の歴史教科書では、士農工商や四民平等という言葉は使われていない。
しかし、日本にいるすべての人が平等になることを目的に、明治政府が苗字を認めたことは間違いない。

 

20年ほど前、日本でカレー屋を経営していたインド人と話をしていたとき、カースト制度について聞いてみた。
すると、彼はちょっと不快そうな顔をしてこんなことを言う。

「日本人はカーストに興味があって、その質問をよくされます。でもね、そんな身分制度は日本にもあったじゃないですか。江戸時代の士農工商ですよ。昔はどこの国にもシステムがありました」

どうやら彼は、日本人にはカーストを「インドだけにある遅れた身分制度」と考える人が多く、その偏見に何度も接して嫌な気分になっていた模様。このインド人にとって、カースト制度は興味本位で聞いていい話題ではないらしい。

あらためて確認しておくと、ヒンドゥー教の社会には次の4つのカーストがある。

バラモン(ヒンドゥー教の聖職者)
クシャトリヤ(王・戦士・貴族)
ヴァイシャ(製造業者・市民)
シュードラ(農牧業・手工業者・労働者)

これはヒンドゥー教の話だから、イスラム教徒やキリスト教徒のインド人には関係ない。

じつは今の歴史教科書では「カースト」という名称も使われなくなっていて、上の4つは「ヴァルナ」と呼ばれている。これにジャーティが加わったものがカースト制度だ。
でも、日本全体ではカーストという言葉を身近に感じる人が多いと思うので、この記事ではその言い方を使うことにする。
上の4つのカーストに入ることができない「不可触民」がいて、歴史的には彼らが差別の対象にされてきた。
上位カーストの人たちは触ると“穢れる”と考えたため、彼らをそうと呼んでいた。
現在のインド憲法では、そんな差別的な呼称を禁止し、スケジュールド・カースト(Scheduled Castes)という名称が使われている。
呼び方としては、メディアでは「ダリッド」を使うことが多いので、ここでもそうすることにする。

 

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ダリッドの親子

 

カレー屋のオーナーの主張はこうだ。

バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラは、士農工商と同じように親の仕事が子に引き継がれていた。
そして、その4つの身分の下にダリッドが置かれた状態は、士農工商の下に賤民階級として「えた」や「ひにん」がいた状態と同じ。
ダリッドが差別されていたように、日本でも「えた」や「ひにん」が差別されていたから、実はカースト制度と同じシステムは日本にもあった。

なるほど。そう言われると、たしかに似ている。しかし、話をしているとやっぱり違いが見えてきた。

まず、江戸時代の士農工商では養子縁組することなどによって、身分が移動することがあったが、昔のインド社会ではカーストの違う者同士の結婚は許されなかった。
*現在のインドでもその考え方は強く残っている。
その話を聞いて、カレー屋のオーナーは「ヴァイシャやシュードラの人間がクシャトリヤ階級になることは想像できない!」と驚く。

それに、差別や蔑視の“度合い”もどうやら違う。
インドでは、上位カーストの人間は「不可触民」に触れるだけでなく、その姿を見たり声を聞いたりするだけで穢れると考えていた。
だから、彼の住んでいた地域では昔、不可触民が外出する際には、鈴を付けることを義務づけていたという。
上位カーストの人間が外を歩いていて、鈴の音が聞こえてきたら、その姿を見ないように道を曲がったり、引き返したりすることができる。そうやって、“穢れ”と触れることを避けていた。

一方、江戸時代に「えた・ひにん」と呼ばれた人たちは、村の行事に参加することが許されなかったり、一目でわかるような髪型や服装をすることを命じられたりする差別をうけていたが、鈴のように、外出時に音が出るものを身につける義務を負っていたという話は聞いたことがない。
ネットで調べてみても、そんな話は見つからない。
それに、江戸時代には、えたやひにんの被差別階級の頭領(穢多頭)である弾左衛門のような大名レベルの金持ちがいて、武士や商人へ金を貸していた。
しかし、彼の知るかぎり、そんなインドでそんな裕福なダリッドはいない。マハラジャと同じくらい金を持つダリッドがいて、上位カーストに金を貸していたという状態も想像できないらしい。

ということで、インドのカースト制度と日本の士農工商は全体的には似ているけれど、やっぱり中身は別ものだ。
でも、インド人にカースト制度について話を聞くときは、「同じ立場」になった方がいい。日本人にそんなつもりはなくても、「上から目線」に感じるインド人もいる。

 

 

日本 「目次」

インド 「目次」

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インドの北部と南部、食文化の違い。器にもカースト制の影響が。

インド人が驚いた日本人。カースト差別と闘う佐々井秀嶺という仏教僧。

 

2 件のコメント

  • > 日本人にそんなつもりはなくても、「上から目線」に感じるインド人もいる。

    カースト制度のことを聞かれてインド人が不快な様子を見せる原因は、「上から目線」を感じることも確かにあるのでしょうけど。カースト制度が「現代人として相応しくない遅れた考え方であることは頭では理解しているが、それでも(母国では)やめられない」ことを恥じる気持ちもあるんじゃないですか? 言い訳として「江戸時代の日本も同じようなものじゃないか」などと300年も前の話を持ち出してくるところが、あの理論的で口達者な人が多いインド人にしては珍しい。よほど感情的に反論したいのでしょうね。
    同じように、現代での人種差別の様相を聞かれると嫌な顔をするアメリカ人が、特に白人にはしばしばいます。ディズニーアニメでの肌の色の描き方とか、ハリウッドの「ホワイト・ウォッシュ批判」とか、ちょっと敏感になり過ぎてヒステリー状態に陥っているのでは? とも思います。

    「穢多・非人」という単語の漢字変換ができない(標準辞書に登録されていない)ことに、今気づきました。この記事でもひらがな表記がしてありますけど、何か意図が?
    漢字表現を使えなくすることが過去の差別制度をなかったことにできるとは、到底思えませんが。歴史上の事実は事実なんだから漢字もそのまま使えばいいと思います。

  • 「日本人がカーストを未開な身分制度と考えている」と彼が思っていて、それで感情的に反発したと思います。

    >何か意図が?
    「えた・ひにん」が漢字変換できないことがまさに理由です。
    それを漢字にして、グーグルが記事に低い評価を与えても逆はないですから。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。