世界中の国に季節はあるけれど、その解釈は文化によって違う。
このところ日本では、地球温暖化の影響で夏が暑く&長くなって、秋と春を感じる期間が減り、四季から二季へなりつつあると言われている。
バングラデシュ人に聞くとあちらも事情は同じで、6つあった季節が最近では4つになったと言われているらしい。
イスラム教徒の彼と話をしていて、季節は移り変わるという点までは一致していたが、「そこから先」が違った。
季節が変化する理由は、地球が約23.4度傾いたまま太陽の周りを回っているから。これによって、気温や日照時間が変わって四季が生まれる。
一般的な日本人の理解だと、そのメカニズムは自然にそうなったのであって、人為的なものは何もない。
文化的にいうと、神道には春の神「佐保姫(さほひめ)」、夏の「夏之売神(なつのめのかみ)」、秋の秋毘売神(あきびめのかみ)、天之冬衣神(あめのふゆきぬ)と四季のそれぞれに神がいる。
しかし、イスラム教の考え方はまったく違う。
バングラデシュ人のムスリムは、アッラーが地球や太陽、宇宙全体をそう設計したと考えていた。この世界に季節があるのも、偉大なる神の意思によると言う。アッラーが地球を23.4度傾け、公転させている。
イスラム教徒はこの世にあるものすべて、そして未来も創造主であるアッラーによってつくられると信じている。
多神教の神道では、この考え方がない。季節の移ろいは自然に起こることで、人知を超えた存在が四季を計画的に生み出しているという発想はしない。
こんな季節の話題なら、「なるほど。考え方が違いますね」という異文化交流で終わるのだけど、そう簡単にはいかないこともある。
イスラム教徒が食べられる物(ハラール)を表している。
価値観や考え方の違いはほかにもある。
イスラム教では人が死んだら、遺体は頭を聖地メッカに向けて土葬されることになっている。一方、日本では99%以上が火葬だ。
ムスリムには土葬するための墓地が必要だから、「別府ムスリム協会」が大分県日出町に土葬墓地をつくろうとしていて、その計画はかなり進展していたが、最近ストップした。
ことし8月に日出町で選挙が行われ、この計画に反対する町長が選ばれたからだ。
新町長は「ムスリム協会」の代表と会い、町有地を売ることはできないと正式に伝えた。協会側は「そうか、なら仕方ない」とはいかず、その説明に納得しないで、町長に土地の売却を求めた。
「水源への影響がないという科学的な証明がない」、「町有地を売らないでほしいというのが民意だ」と主張する町長に対し、ムスリム協会側は「私たちはすぐお墓を作らないといけない。諦められない」と話し、溝は1ミリも埋まらない。
このイスラム墓地の建設問題については前から注目していたから、国民の反応も予想できる。いつも住民の意思を尊重すべきという意見が多く、今回もヤフコメを見ると、やっぱり、こんなコメントにたくさんの「いいね」が集まっていた。
・日本には日本の文化風習がある。それを外来者が多様性だの人道的だのを盾に曲げろというほうがそもそもおかしい。
・「圧倒的多数の民意を町長が守った」というのが結論だと思います。
・日本に来るからには、日本の文化を愛していてほしい。
ムスリムとは「アッラーに絶対服従する者」という意味で、信者が土葬されることも神の意思だから、ムスリムがムスリムである限り、譲ることはできない。
日本では、歴史的にそんな絶対的な存在はいなかった。
ほとんどの日本人は無宗教で、宗教的なルールに縛られることがないから、柔軟性や適応性があり、現地のやり方に合わせる「郷に入っては郷に従え」という考え方が強い。
ここで歴史を振り返ってみよう。
戦国時代に伝えられたキリスト教は自分たちの信じる神以外を否定し、信者は寺や神社を破壊し、日本人の怒りを買った。豊臣秀吉はそんな排他性や独善性に激怒し、「バテレン追放令」を出す。豊臣家を滅ぼした家康もキリスト教を敵視し、日本から追放した。
「家康の発令した「伴天連追放之文」(起草者は以心崇伝)でも、キリスト教を三教一致(神道、儒教、仏教)の敵として名指しで批判している」(バテレン追放令)
日本の伝統的な思想とイスラム教やキリスト教の一神教世界では、基本的な価値観や発想が違うのだ。
今回の件でハッキリしたのは、日本でイスラム墓地を建設するなら、法的なハードルをクリアするだけでなく、地域住民の理解や共感を得る必要があるということ。
ムスリム協会もそれは理解していて、毎年、「イスラーム文化祭」を開催してイスラム教について説明したり、イスラム圏で食べられている料理を振る舞ったりしている。
こんなイベントでイスラム教に触れ、理解を広げることはできる。しかし、日本では伝統的に、イスラム教で最も重要な「全世界の創造主と絶対服従する者」という発想がなく、ムスリムが土葬されるという決まりは理解できても、そのための墓地を近所につくることを受け入れるのは難しい。
個人的にバングラデシュ人、インドネシア人、トルコ人、ナイジェリア人のイスラム教徒と付き合いがある。
季節や埋葬法などいろんな質問をすると、彼らはイスラム教の考え方や価値観を熱心に教えてくれるが、それと同じレベルの熱意をもって、日本の伝統や文化を理解しようとしているようには見えない。個人差はあるけど、日本にいる欧米人に比べると、全体的に日本の歴史や文化についての関心が薄い。日本人の友人も少ない。
ムスリム教会が、イスラム教の価値観や考え方を日本人に説明するのと同じ熱心さで、日本の伝統や価値観を理解しようとしていたらいいのだけど。
日本でムスリムの墓地をつくるためには、アッラーのほかに、地域住民の意思も尊重する必要がある。
日本の仏像を破壊するイスラム教徒を、在日ムスリムはどう思う?
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