1991年の11月12日はサンタクルス事件が起きた日。
現在の東ティモールの首都ディリで市民が独立を求めてデモ行進をしていると、インドネシア軍が無差別に発砲し、200人以上の死者と多くの負傷者を出した。
日本語版ウィキペディアの項目には「事件」と書かれているが、英語版ウィキペディアでは「The Santa Cruz massacre(サンタクルス虐殺)」と書かれている。世界的にはこの名称が一般的だ。
惨劇が発生したのは火曜日だから、欧米なら「血の火曜日事件」と呼ばれるかもしれない。
では、この闇歴史から、インドネシアと東ティモールの関係を見ていこう。
21世紀に入ってから最初に独立した国、それが東ティモール民主共和国だ。
この国は、サンタクルス事件が大きなきっかけとなって2002年にインドネシアから独立した。アジアでは最も新しい国として知られている。
東ティモールはインドネシアの東部にあり、すぐ南にはオーストラリアがある。
人口は約135万人で、面積は首都4都県(東京、千葉、埼玉、神奈川)の合計(または四国)とほぼ同じ。国名のティモールはインドネシア語で「東」を意味する。
この国について日本で有名なものは、コーヒーぐらいしか思い浮かばない。
ちなみに、21世紀に独立した国は東ティモールとヨーロッパのモンテネグロ(2006年)だけらしい。
以前、インドネシア人の友人と歴史の話をしていた時、東ティモールの独立について意見を聞いてみた。
彼はイギリスと日本の大学に留学していたことがあって、今はインドネシアの大学で教えている。国際感覚のあるエリート層にいる人物で、彼自身も言っていたけれど、これは彼個人の意見で、インドネシア国民を代表するものではない。
それを前提に読み進めてほしい。
ティモールの分離独立については、彼らを同じ文化を持つインドネシアの「家族」と思うか、もともと別の文化圏にいた「他人」と見るかで大きく違う。
この小さな国が持つ歴史は複雑なのだ。
16世紀、ティモール島はポルトガルの植民地になり、19世紀に西側がオランダに譲渡される。つまり、東側はポルトガル領、西はオランダ領となり、ティモール島は東西に分かれてしまったのだ。
当時、インドネシア全体はオランダの植民地だった。
第二次世界大戦が始まると日本軍がやってきて、この地を300年以上支配していたオランダを駆逐し、代わりにインドネシアを占領統治することとなり、ティモール島もその対象となる。
そんな時期が1942年から1945年まで続いた。
戦後、ティモール島は再びポルトガルに支配され、1949年に西ティモールがインドネシアの一部として独立したが、東ティモールではポルトガルによる支配が続けられた。
それでも民衆の抵抗運動は終わらず、1975年に、東ティモールの人々がポルトガルを追い出して独立宣言を出す。すると、すぐにインドネシア軍に制圧され、東ティモールはインドネシアに併合された。
インドネシアはその後、経済や教育の面で支援を行うと同時に、独立を求める人々を弾圧し、20万人が亡くなったとされる。
そんなインドネシアからの独立を求める運動の中で、1991年にサンタクルス事件が発生し、200人以上がインドネシア軍に殺害された。
その映像が流出すると国際社会では東ティモールを支持し、インドネシアを非難する空気が高まったため、インドネシア政府はこの事態にかなり困惑した。
The television pictures of the massacre were shown worldwide, causing the Indonesian government considerable embarrassment.
インドネシア国内でも政府への批判が高まり、2002年に東ティモールはインドネシアから分離独立を実現する。
ここで、話を知人の意見に戻そう。
東ティモールがインドネシアの一部だったのは、歴史的には戦後の数十年しかないから、彼は東ティモールを「家族」ではなく、「他人」と考えていた。インドネシア国民の約90%がイスラム教徒であることに対し、東ティモールでは国民の99%がキリスト教徒だから文化的にも違う。
それに、彼から見ればインドネシアがここを統治したのは、日本軍がインドネシアを占領統治したことと重なり、実は政府は日本と同じことをしていたことになる。
東ティモールの人たちの独立を求める気持ちは、かつてインドネシア人がオランダや日本から独立を求めたものと同じ。だから、その主張や権利を認めないと、インドネシアは植民地主義に反対していた立場と矛盾してしまう。そんなことで、彼は東ティモールの独立には賛成していた。
ただ、残念なことは、東ティモールを統治していた時代、社会を発展させるためにたくさんのお金を使ったことで、それはインドネシア国内のために使うべきだったと言う。
*インドネシアがたくさんの「投資」をしたのに、東ティモールは独立したから、「裏切られた」と感じるインドネシア人もいるらしい。
また、サンタクルス事件などで、国際社会におけるインドネシアの評価が下がってしまったことも彼は残念に思っていた。
その反面、「良かった」と思うことは、インドネシアのアチェにも分離独立の動きがあるけれど、東ティモールの独立とそれが連動しなかったこと。
現在、インドネシアと東ティモールは「過去は過去、今は今」で友好的な関係を築いている。
インドネシア国民はこの国に対して、「東にある貧しい国」といった程度の認識で、日常生活で意識することはほとんどないらしい。
現在の東ティモールでは、11月12日は「サンタクルス記念日」として祝日となっている。
> それに、彼から見ればインドネシアが・・・
その段落、次の段落と重複していますね。入力ミスでしょうけど。
もう20年以上前の話になりますが、バンドン工科大学において仕事の関係で先生・学生さんたちと接触したことがあります。その時のおしゃべりで東ティモールの話も出たのですが、彼らの中でも同地域に対する感覚は、好意的なものと冷ややかなものとで割れているようでした。(私も彼らも英語があまり上手でなかったので、本当に彼らの意を酌んだのかどうか分かりませんが。)
インドネシアでは、公衆トイレが見つからなくて困ったこと、ジャカルタの有名国際ホテルや高層ビル街に隣接してスラム街が広がっていたこと、などが特に印象に残りました。ああそれと、右手に荷物を持っていたので左手(イスラム教では「不浄の手」とされる)で握手をしようと手を延ばしたら、若い女性に拒否られました。最初は理由が分からなかったけど、相手に指摘されて荷物を左手に持ち替えたら今度は笑顔でちゃんと握手してくれました。
東ティモール問題ではインドネシアとの宗教の違いが大きな影響を及ぼしている気がしました。なぜだか、東ティモール人はインドネシア人に対して「蔑視する」風潮があって(キリスト教徒がイスラム教徒に対する傾向?)、そのことがインドネシア人には不快に感じられる人もいるようでした。海外で民族・宗教の話は、どこの国へ行っても難しいです。
インドネシアに関してもう一つ忘れてました。お札の額面金額に「0」が非常に多くて(1憶リンギットとか現地の人は平気で使っていた)、私には計算が大変でした。
>その段落、次の段落と重複していますね。入力ミスでしょうけど。
すみません、見落としていました。ご指摘ありがとうございます。
左手が不浄とされている文化はインドも同じで、わたしは左手でお札を持って渡そうとしたら、店の人に拒否されました。
「タラレバ」を言えばキリがありませんが、東ティモールにイスラム教徒が多かったら、独立はなかったかもしれません。