【ペタと独立戦争】インドネシアのために戦い、散った日本人

 

インドネシアにあって、日本にはないのが独立記念日って日。
太平洋戦争中に日本軍がオランダを駆逐して、インドネシアは1945年8月17日に独立を宣言したものの、宗主国のオランダがそれを認めずはずもなく、再び支配しようとしたから独立戦争がぼっ発。
インドネシアはこの戦いでみごと勝利を収め、1949年に自由を手に入れた。
きょう12月27日はオランダがインドネシアの独立を承認し、(日本軍による占領期間をはさんで)約350年のオランダ支配が完全終了した日になる。
ちなみに独立記念日は8月17日。

以上のことはインドネシア人の常識で、日本人として知っておかなきゃいけないのは「PETA(ペタ)」の存在だ。

郷土防衛義勇軍(インドネシア語でTentara Pembela Tanah Air:PETA)とは、戦時中に日本軍が現地の若者を集めて訓練などを行った軍事組織のこと。
約4万人の兵士がいたペタのなかには、後にインドネシア第2代大統領となるスハルトもいた。
日本の敗戦後、再びこの地に襲来したオランダを迎え撃ったのは、ペタを中心とするインドネシアの人たちで、1945~49年にわたり80万人が犠牲になった独立戦争を戦い抜き、インドネシアの独立を認めさせた。

このとき日本への帰国を拒否して、ペタでインドネシア人に軍事訓練を行った日本人など1~2千人が独立戦争に参加してその多くが命を失う。
亡くなった元日本兵は敬意をもって、ジャカルタのカリバタ英雄墓地など特別な場に葬られた。
後に日本企業がインドネシアへやって来たとき、両国の橋渡しとなったのがこうした元日本兵だった。
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インドネシア独立戦争

 

1987年に日本を訪問したアラムシャ第三副首相は、PETAでの人材育成やインドネシアに残ってともに独立戦争を戦った日本人に感謝の気持ちを表明しこう話した。

「経験豊かでしかも勇猛果敢な日本軍将兵の参加が、独立戦争を、我々に有利な方向に導いたか計り知れない。」

おまけに書くとこんなことも言う。

「数百年来インドネシアに住む、数百万の中国人の大部分はオランダ側に加担して、インドネシア軍に銃を向けた。」

 

ただ現在のインドネシア人が、こうした日本人を知っているかどうかは微妙なところ。
これまで何十人ものインドネシア人に聞いてみたところ、知っていたのは30%ぐらいで、なかには「ペタですか?もちろんわかります。地図のことです」とカン違いする人もいた。
*インドネシア語で地図をPETAという。
だからインドネシアのために戦って、亡くなった日本人がいたことは覚えておくべきだけど、現地の好意的な反応は期待しない方がいい。

 

 

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1 個のコメント

  • > インドネシアのために戦って、亡くなった日本人がいたことは覚えておくべきだけど、現地の好意的な反応は期待しない方がいい。

    その通りです、残念ながら。
    インドネシアの人々で、先の大戦時代のことを覚えている年寄が、もうほとんど生き残っていないという背景事情もあります。日本に比べて、インドネシアは平均寿命がずっと短いのです。確か、10年以上は違うんじゃないかな。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。