5月25日は日本で「プリンの日」だ。
「プリンを食べると思わずニッコリ」(ええっ)の「ニッコリ」を25に重ねるという力技で、オハヨー乳業株式会社がこの記念日を制定。
ということで話は、フランスによるベトナム植民地支配だ。
1850年代からフランスはベトナムの土地を奪い始めて、1887年にはインドシナ総督府を設置しフランス領インドシナが出来上がって、その圧政は1954年までつづく。(フランス領インドシナ)
この植民地支配について、現在のベトナム人はどう思っているのか?
知り合いのベトナム人に聞いてみると、主権や自由を奪われたから全体的には悪だったけれど、良いところもあったと言う人がほとんど。
「良いニュースと悪いニュースがあるんだが、どっちを先に聞きたい?」と言われたら、個人的にはハッピーエンドが好きなんで、ベトナム人から聞いた植民地支配の負の面から紹介しよう。
この時代を象徴する人物に、1897年~1902年までインドシナ総督をしていたポール・ドゥメールがいる。このあとフランス大統領にもなった彼はベトナム支配をこう考えていた。
原住民の土地を没収しフランス人入植者と協力者の地主・官僚に与えたため、農民は自作農から小作人・農業労働者に転落して困窮した。彼の統治はあくまで植民地経済の発展のためで現地人は考慮していなかった。
ベトナム人の犠牲の上にフランスの繫栄があったわけだから、現地の人たちの反発は避けられない。
となるとフランス側はその動きを徹底的に弾圧する。
独立運動をするような「反乱分子」は容赦なく投獄し、ときにはコレを使って処刑した。
首都ハノイにある博物館に行ったとき、フランスで考案された有名なギロチンが展示されていてビビりました。
案内してくれた日本語ガイドは、
「仕事だからここに来ますけど、プライベートならイヤですね。これで何十、何百の人たちが殺されたか考えると本当に不快ですし、心が痛くなります。」
と言う。
その具体例には1908年に「ハノイ投毒事件」を行って、首をはねられたホアン・ホア・タムがいる。
フランスに捕まったハノイ投毒事件の容疑者
事件の首謀者としてギロチンで処刑されたホアン・ホア・タム
フランスにとってはテロリストでも、ベトナムでは英雄とされている。
くわしいことはこの記事を。
別のベトナム人からは、フランスに対するゲリラ活動をしていて捕まり、19歳で処刑された「ヴォー・ティ・サウ」を尊敬しているという話を聞いた。
ベトナムの国民的英雄&”テロリスト”の少女、ヴォー・ティ・サウ
では次に、フランス支配の「光」を紹介しよう。
話を聞いたベトナム人は、この時代にフランスからもたらされた良いものとして、コーヒーとバゲット(フランスパン)とプリンを挙げる。
このパンで作るサンドウィッチのバインミーは、日本でいうならおにぎりのような国民食で、いまではベトナム人の食生活には欠かせないアイテムになっている。
最近は日本でも有名になってきているベトナムコーヒーも、フランス植民地支配の置き土産。
ベトナムでもフランス語と同じように「カフェ」(cà phê)と呼ばれていて、作り方もフランスのカフェがベースになっている。
ただベトナムコーヒーはコンデンスミルクを、底にたまるほどたっぷり入れるからかなり甘い。
数年前には横浜に、ベトナムのエッグコーヒーが上陸して話題になった。
そしてボクがベトナム旅行で開眼したプリンも、フランス人がこの地にもたらしたもの。
東南アジアのスイーツは甘すぎたりして、日本人の味覚には合わないことがよくあるけど、ベトナムの街中によくあるプリンは違う。
これは自分の中で、手軽だけど至高の一品になっている。
チープな値段の割にはクオリティーが高すぎて、あれにハマった日本人旅行者を何人も見た。
「プリンを食べると思わずニッコリ」はベトナムでも同じらしい。
ということで本日のまとめ
ギロチンが象徴するフランスの圧政や搾取は植民地支配のダークサイドで、フランスパン(バゲット)とバインミー、コーヒーとプリンはベトナム人も認める“光の部分”だ。
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